ユーノのとある一日


「ねえ。ユーノ君、最近太った?」

衝撃的な一言だった。
何が衝撃的かといえば、自分自身にその自覚がなかったこと。
今まで遺跡発掘を生業としてきたスクライア一族の一員として、各地を転々と流浪の生活を送ってきた。
ところが、この世界のこよみでいうと今年の四月から、正確に言うとPT事件終結からこっち、約四ヶ月間。
僕、ユーノ・スクライアは、なのはの家。高町家に、不本意ながらペットのフェレットという形でお世話になっている。
今までで、こんなにも長くひとところ留まったことがなかったし、高町家での生活は、なのはの魔法訓練に付き合う以外は非常にゆったりとしたものだった。
それほど長くはない人生の中ではあるけども、一番穏やかな日々をすごしていたのだと思う。
そんな生活が、心と身体をたるませていたことに、なのはの一言によって気付かされた。

「…………え?」

そう聞き返すのがやっとだった。

「今日、思ったんだ。桜台からの帰り道で、肩に乗せてたユーノ君が、ちょっと重かったかなーって。単に私が疲れてただけかな?」

なのはにしてみれば何気ない一言だったのだと思う。
学校へ行く準備をしながら、軽い気持ちで話しかけてきたのだろう。その証拠に、こちらの返答を待たずにカバンを背負った。

「それじゃユーノ君。いってきまーす」
「……ああ、いってらっしゃい……」

初めて出会ったときに着ていたものと同じ制服に身を包み、いつもどおりの笑顔で出かけの挨拶をするなのはに対し、僕は力なく前足を振り返すのがやっとだった。







どれくらい時間がたったろう?
しばらくの間、僕は放心をしていたようだった。
なのはに指摘された内容がショックだったし、なのはに指摘されたということもショックだった。
よりによってなのはに。なのはに重くなったと言われてしまった……。

「僕は、そんなに太ってしまっただろうか?」

高町家へ厄介になり始めてからの、自分の生活を振り返ってみた。
夏のジメジメとした暑さにはかなりダウン気味だったけど、最近は気温もだいぶ落ち着いてすごしやすい日が続いている。
だからと言うわけではないけど、食欲が旺盛になっている。ご飯がとてもおいしい。

「最近の食べすぎが原因かな?」

自分のわき腹あたりを摘んでみたけど、そもそもやせているときの状態をよく覚えていないからあまり意味がなかった。
次に朝起きてからの、一日の流れを追ってみた。

「まずは、朝。なのはと一緒に桜台まで行って魔法の訓練だ」

訓練と言えば聞こえはいいが、基本的に僕は見ているだけ。
なのはに対する魔法訓練への助言と、彼女の質問に答えることが僕の役割だった。
その上、先程もなのはが言っていたけど、桜台までの行き帰りはなのはの肩に乗っかっている。

「うーん。ちっとも身体を動かしてないな……。えーと、それから……」

朝食の後、なのはを送り出してからの時間。
高町家のみんなはそれぞれ仕事や学校へと出かけていってしまい、家には僕一人となる。
特にすることも無いので、大概二度寝している。
だってそうでもしないと、体がもたないし。
なのはは、朝早いし。
眠いし。

「…………気を取り直して、次」

お昼。
なのはや、なのはのお母さんの桃子さん、お姉さんの美由希さんが用意してくれているご飯を、テレビを見ながら食べる。
おかげでこちらの世界のことについて、だいぶ詳しくなった。
もともとあちこちの世界をさすらってきた部族の出身なので、順応性が高いのは自慢の一つだったりする。
お昼を食べ終わるとおなかが膨れたせいか、いつも眠くなる。
そんなわけで、昼寝。
日中はなのはが帰ってくるまで、大体寝て過ごしている。

「…………これは、まずいかな……?」

夕方、なのはが帰ってきてからは、再びなのはの魔法の訓練。
この時間帯は、早朝と違い人目も多い。このときばかりは、僕の魔法で人目を避ける結界を始終張っている状態になる。
ただし、毎日夕方の訓練があるわけではなく、なのはが塾に行っていたり、家の手伝いをしている日は、必然的にお休みだ。

「けど、魔法を使っているだけで、やっぱり身体を動かしているわけじゃないんだよなぁ」

夜。
晩ご飯を食べた後は、またまたなのはの魔法の訓練。
一応一緒に訓練のために外出はするけども、夜間の訓練ではほとんど結界を使わず済んでしまう。

「こうやって分析してみると、僕、全然運動してないじゃないか……」

夜の訓練の後は、一日の疲れを洗い流すべくお風呂に入る。
そして、そのまま就寝。
いつも九時前にはなのはは寝てしまう。
僕も、やることもないのでなのはに付き合って寝てしまことが多い。

「基本的に、『食っちゃ寝』じゃないか? 僕は。…………『出不精』の『デブ症』なーんて――」

窓からは朝の清々しい日差しが差し込んでくる。
けれど、なぜだろう。僕の周りの空気はこの上なく重々しかった。それ以上に、寒々しかった。
まるで、今の僕の心の中を表しているかのように。

「外に、出てみるかな……」






走る。
別に、やり場のないモヤモヤとしたものを胸の内側に抱えているわけでもなく、そのモヤモヤをむやみやたらにわめき散らしながら走っているわけでもない。
ただ、走る。
そう、自分自身のこれまでを振り返り、そしてその生活習慣を戒めるために。

「そう、これから僕は生まれ変わるんだ。いままでの自堕落なユーノ・スクライアはもういない。これからは、みんなの目標とされるような存在にならないといけない!」

ぐっと握りこぶしをつくり、いつの間にか誰に聞かせるわけでもない高説をぶっていた。
ちなみに、いつの間にか足も止まっていた。
風が吹き抜ける。
誰も聞いていないこと。そして、自分がフェレット形態でいることに気がつき、むなしさだけが心の中に残った。

「……もう少し、走ろう」

お昼ごはんを食べ終わった後、僕は外へと出た。目的は、運動のため。
空は雲一つない気持ちのいい快晴だった。
朝晩の冷え込みが気になりだしてきたこの頃だけど、この昼下がりの時間帯は太陽が地面を照らしているおかげでまだまだ過ごしやすい。
そういえば、テレビの天気予報か何かで言っていたけど、この海鳴という街は海沿いにあるおかげで気候が安定していて穏やかなんだそうだ。
これまでいろんな土地を訪れたけど、この海鳴は今までで一番過ごしやすい土地かもしれない。
そんな穏やかな気候が影響してか、街の人々も穏やかな人が多かった。
なのはを始めとした高町家の人々。一部を除くなのはの友達。
道行く人たちも穏やかな様子だった。

スーツ姿のサラリーマン。
自転車をこいでいる主婦。
犬の散歩をしている老人。
猫。

「――――猫?」

僕の目の前に、いつの間にか猫がいた。
ちっとも穏やかそうな表情をしていない。
獲物を見つけて今にも飛び掛ってきそうな、生きる活力にみなぎっている表情だった。

「シャーーー!!」
「うわぁぁぁぁああ!!」

間一髪、猫がその全体重をかけた両前足の爪による一撃を横っ飛びでかわす。
勢いがついていた猫は、こちらに振り返るために体勢を整えている。
その隙を突いて、僕は駆け出した。

「だ、誰か助けてぇぇえ!」






どれくらいの時間、僕は走り続けていただろうか?
いくら僕が体重を気にして、ロードワークの真似事を始めたからといって、こういう形で後押しするのはぜひ止めていただきたい。
聞いていますか?
この、強制ランニングはいつ終わるんですか?
ていうか、そろそろ勘弁してください。

「おっと、とと。いて!」

あまりにも長い時間走り続けていたせいか、とうとう足をもつれさせて転んでしまった。
まあ、転んだ衝撃のおかげで、現実逃避しかけていた意識があちら側から戻ってきてくれたのだけど。

「ん。ここは?」

いつの間にか、住宅街から公園の中へと走ってきていたようだった。
いや、ただ単に公園と表現するのは良くない。
ここは、僕となのはが初めて出会った公園。
なのはが僕の声を聞いて、僕を助けてくれた思い出深い公園だ。

「…………なのは」

思わず、声に出してその少女の名前を呼んでいた。
深い意味はない。
ただ、その名前を自分自身に聞かせることによって、心を落ち着かせようと思っただけ。
何気なく呼んだその名前だったけど、しっかりとその呼びかけに応える存在がいた。

「ナァーオ!」

僕のちょうど目の前の茂みから、顔をのぞかせたそれは、今まで散々僕を追い掛け回していた猫だった。

「うわっ! いつの間に!」

逃げなければ。
そう思っては見たものの、僕はまだ転んだ状態から立ち直れていない。
迫る猫。
焦れば焦る分、手足が思うように動かない。
振り上げられる爪。

――もう、だめなのか?

僕には、まだやりたいことがある。
こんなところで、終わりなんて出来ない。

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」






無我夢中だった。
自分でも何をしたのかが分からなかった。
ただ分かったのは、猫が文字通り尻尾を巻いて逃げ出していったこと。
猫の姿が脇の茂みに消えたところで、僕はようやく立ち上がった。
条件反射というべきだろうか、自然とお尻の砂埃を払う動作をして、ようやく自分が人間の姿になっていたことに気がついた。

「…………はぁ。初めからこうすればよかった」

我ながら間の抜けた話だと思う。
フェレットの形態で猫に追いかけられたのだ。だったら、素直に人間の姿に戻ればよかった。
こんな単純なことに気がつかないでいた自分に、軽くショックを受ける。
いや、そもそも人間の姿に戻れるということを、この二、三時間の逃走劇の最中完全に忘れていた。
その事実に気がつき、さらにショック。

「…………帰ろう。っと、うわっ!」

うまく歩けなかった。
とっさに両手両膝を地面につき完全に転んでしまうのを防いだ。

「四ヶ月ぶりの二足歩行に体が反応しきれていないのか? いや、きっと疲れて足がもつれてしまっただけだ」

そうに違いない。
そうでなければ、そろそろ僕自身の人間としての尊厳が危ぶまれてくる。
厄日だ。
こんなことならば、外になんか出なければよかった。

「はぁぁあ」

今日、一番の盛大な溜息がこぼれた。






「ユーノ君?」

しばらく四つん這いでうなだれていたところで、自分の名前が呼ばれた。
現在この街で、僕のことを知っている人は限られてくる。
人間の状態でいるときだとなおさらだ。いや、僕の人間の姿を知っているのはただ一人だけだろう。

「なのは?」
「あは。やっぱりユーノ君だ」

顔をほころばせて小走りに駆け寄ってくるなのは。
僕はあわてて身体を起こす。両手両膝の砂を払った。

「お出かけしてたの?」
「う、うん。まあ、そんなところ。なのはは?」
「学校の帰り。今日は、アリサちゃんもすずかちゃんも習い事があるから、私一人なの」
「そ、そうなんだ」

言えない。
とてもじゃないけど言えない。
今の今まで、人間の誇りと尊厳、そして自分の命を懸けて街中を駆けずり回っていたなんて。

「あ、そういえばここだったね」
「え?」
「私とユーノ君が初めて会った所」



胸にグッと来るものがあった。
なのは、覚えてくれてたんだ。
途端に、今までのことが一瞬にして思い出された。



時空管理局の巡航艦アースラ。
リンディ提督を始め、クロノ、エイミィ、クルーのみんな。
何度もぶつかった。けど、最後に分かり合うことが出来た魔導師、フェイト・テスタロッサ。使い魔のアルフ。
初めて魔法を使ったときから、なのはと抜群の相性を見せたインテリジェントデバイス、レイジングハート。



そして、今僕の目の前にいる女の子。
高町なのは。



僕の助けを求める声に応えてくれたこと。
ちょうどこの場所で、傷ついて動けなくなっていたところを助けてくれた、あの手のぬくもりを。
僕は、思い出していた。



「なのは」
「ん?」
「ありがとう」
「え? ど、どうしたの急に?」

なのはは目に見えて分かりやすいほどあわてていた。
当然だろう。
何の前置きもなく、いきなり「ありがとう」なんて言われたんだから。

「うん、いろいろとね。僕を助けてくれたときのこととか。本当に、いろいろあったなあって」

急にお礼を言われたからだろうか、なのはは少し顔を赤くして視線をそらした。
そんななのはの様子を、僕はなんともいえないゆったりとした気持ちで見つめていた。

「ん?」

こちらを振り向いたなのは何か気になることがあったのか、小首を傾げる動作を見せた。
すると、唐突に僕との距離を縮めてきた。

「ん〜?」
「!」

鼓動が早鐘を打つ。
なのはの顔が僕の目の前にあった。
お互いの息がかかりそうなほど近いその距離。
女の子特有の甘い香りが僕の鼻の奥を刺激する。

「わかった!」
「え?」

そう言ってなのはは、一歩だけ後ろへ下がった。

「ユーノ君、背伸びたでしょ?」

僕となのはの頭のてっぺん辺りを、なのはの左手がものさし代わりになって行き来する。

「そうだよね。背が伸びたんだったら、体重が増えても仕方ないもんね」

自分が発見した事実を誇らしげに言うなのはは、満面の笑顔を見せていた。
僕の体重が増えたことを、なのはは気にしてくれていたみたいだ。
そんな彼女の気遣いと、先程なのはが急接近してきたときに抱いた僕のよこしまな考えが交じり合って、僕は煮え切らない、やりきれない表情を作っていた。

「でも、よく分かったね。僕の身長が伸びているってこと」
「うん。だって、人間に変身しているところ見るの久しぶりだったから」
「そっか、……………………って、ちょっと待って、なのは」
「え、何?」

きょとん、という表情を見せるなのは。
こんな彼女に僕は、それでも伝えるべきだと思い、事実を告げた。

「人間に変身じゃなくて、フェレットに変身。もともと、僕はこっちだから」

腕組みをするなのは。
しばらく目をつむり、うんうんうなって記憶をさかのぼっているようだった。
そしてしばらくした後、目を見開く。

「てへ」

なんて、可愛らしい台詞とともに、左手で自分の頭を小突くしぐさを見せた。おまけに舌までぺろっと出している。
そんな彼女を見て、僕の憤りに似た感情はうやむやのうちに行き場をなくし不完全燃焼を起こしてしまっていた。

「ユーノ君」
「うわっと」

気がつけば、なのはが僕の右腕に抱きついてきていた。

「な、なのは?」

あまりにも突然だったので、一瞬何が起こったのかわからなかった。
けど、服越しに伝わるなのはの感触と体温が、僕の脳みそを瞬間的に煮え立たせた。

「一緒に帰ろ」
「あ、うん」

お互いの歩幅をあわせながら、ぎこちなく歩き出す僕たち。

憤り?
不完全燃焼?
それが、どうした。
僕は、今が幸せなら、それでいい。

なのはが傍にいてくれる。たったそれだけで、僕は幸せだった。
彼女が僕のことをどう思っているかは分からない。けれど、僕がなのはをどう思っているのかは、僕自身が一番知っている。
なのはが僕を助けてくれたことに、恩義を感じている。それもあるけども、それ以上に僕がなのはのことを大切にしたいと思っている。これは紛れもない事実だ。

「何? ユーノ君」
「ううん。なんでもない」

いつの間にか、なのはの顔をじっと見つめてしまっていた。
たまには、こんなふうに外に出てみるのいいかな。

なのはと一緒に歩きながら、こんなことを思ってみたりした。






後日。
誰もいなくなった高町家で、たびたび体重計を拝借することになったのは、僕だけの秘密にしておく。





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