カラン。と、物寂しげな音を立てて、トイレットペーパーの芯があらわになった。
ヴィータは震える手で紙の切れ端を持ちながらつぶやく。

「ヤバイ。どうしよう……」




ペーパーゲーム





「おーい、シャマルー。…………いないのかー?」

廊下に響き渡る声。
トイレのドアを少しだけ開けて、家の中に呼びかける。
しかし、ヴィータの声に答える者はいなかった。

「シグナムー。ザフィーラー。誰もいないのかー?」

思いつく限りの家族の名前を挙げるが、返答はない。
やがて、心細さからか、ヴィータの声が震えだした。

「は、はやてー、誰かー。いないのかよー!?」

その時、ヴィータの声が天に届いたのか、何者かがこちらに近寄ってくる気配があった。
廊下の角から姿を現したのは、狼形態のザフィーラだった。
主であるはやてをはじめ家族を守る守護獣で、人間形態にもなれるのだが、普段はこうして八神家の「ペット」として世間体を守っていた。

「ヴィータ。どうした?」
「ザフィーラ、大変だ。か、紙がない……」

ドアの隙間から顔をのぞかせるヴィータを不思議に思っていたザフィーラだったが、その理由を聞いたことで合点がいった。
常に一歩ひいたところから仲間たちを見守る盾の守護獣は、あわてた様子のヴィータをよそに冷静に状況を確認し始める。

「戸棚の中に、買い置きはないのか?」
「探したよ。けど、無いんだって。ちきしょう、シャマルのうっかりめ」

現在、主はやてと烈火の将とともに管理局へ仕事で赴いているヴォルケンリッター家事担当に悪態をつくヴィータ。
しかし、そんなことをしても事態は一向に改善しない。

「さて、……どうするか……」
「買ってきてよ、ザフィーラ」
「何?」

渋い表情をして考え込んでいたザフィーラの表情が、いっそう渋くなる。

「仕方ないじゃんかよ。今動けるのはザフィーラだけなんだから……」
「……むう」

煮え切らない態度のザフィーラに痺れを切らしたのか、ヴィータはドアを閉めると中から大声で叫ぶように言った。

「ザフィーラがあたしを助けてくれなかったって、あとではやてに言いつけてやる!」
「ぬ!」

主の名を出されてはさすがに頷かざるを得ない。
ドアの向こう、便座の上であぐらをかいているヴィータの姿を想像し、ザフィーラは軽く頭を振る。
そして、駄々っ子と化した鉄鎚の騎士に言い含めるように語り掛けた。

「分かった。トイレットペーパーを買ってくるから、しばらくおとなしくしていろ」
「シングルじゃなくて、ダブルのやつなー。それじゃないと、はやてが嫌がるから」
「……心得ている」












商店街。
ドラッグストア前。
ザフィーラは、立ち尽くしていた。
トイレットペーパーの種類は心得ていたザフィーラ。
しかし、肝心の財布を忘れて愉快なザフィーラ。
そもそも、狼の姿で買い物をしようとしたこと自体間違っていた。
現在の状況を打開すべく改善策を検討するザフィーラは、頭の中でシミュレーションを開始した。






首に買い物かごを提げた自分。
店先でワンと一つ吠える。
店員のお姉さんが出てきて、かごを提げた大型犬である自分を見つける。
かごの中には、ヴィータが書いたと思われるつたない文字で、

「といれっとぺーぱーのだぶるをくだちい」

のメモ。
微妙に字が間違っているのはご愛嬌。
そんなメモを見て生暖かい笑顔で微笑む店員のお姉さん。






駄目だ。
とてもではないが、耐えられそうにない。いろいろと。
実際にそんなことをしてみろ、海鳴名物お利口買い物ワンちゃんのレッテルを貼られてしまう。
そのようなことになっては、もはやヴォルケンリッターとしての自分を保てなくなる。
ザフィーラは自分で作り上げた妄想に似た想像を振り払った。
ならば、お金を取りに一度家に戻るか?
いや、そんなことをしたらヴィータに笑われてしまう。

「なんだ、ザフィーラ。おまえもシャマルのうっかりがうつっちまったのか? ヴォルケンリッターにうっかりは二人もいらねえぞ?」

いや、笑われるよりもむしろ、怒りを買って鉄球が飛んできそうな気もする。

「……さて、どうするか?」

いい加減手を打たなければと、ザフィーラは湧き上がる焦りとともに考えた。
周囲の視線がザフィーラに集まり始める。
今は犬としてごまかしているものの、本来は狼である。
大人の男性ほどの体躯を誇る大型犬が首輪も着けずに人通りの多い場所にいるのだ。
保健所などに連絡をされた場合、ザフィーラとしては非常に厄介な事態となってしまう。
それだけは避けなくてはならない。

「仕方ない。助けを呼ぶか」

そうつぶやいて、人目を避けるように店の脇の人通りの少ない路地へと入っていった。












「……ん?」

誰かに呼ばれたような気がして、振り返る。
しかし、現在この部屋、この家には自分ひとりしかいないはずだった。
そうして自分の現在の状況を確認すると、再び目の前の事象に没頭する。
そこで再度、自分を呼ぶ声を聞いた。

『――フ。……アルフ。聞こえていたら、返事をして欲しい』
『ん? ザフィーラかい?』

声の主はザフィーラだった。

『珍しいね。アンタから話しかけてくるなんて』
『うむ。少々まずい事態になってな……。力を貸して欲しい』

普段、自分から積極的かつ能動的にコミュニケーションをとろうとしないザフィーラである。
そのザフィーラが、念話通信で助けを求めてきていた。
いつもの彼を知るアルフからしてみれば、珍しいことこの上ない。

『……あー、助けたいのは山々なんだけどね。いまはちょっと都合が悪いというか、なんというか……』

明朗快活、竹を割ったような性格のアルフが口ごもる。
常日頃のアルフを知るザフィーラから見れば、彼女の態度は珍しいものとして映った。

『? どうかしたのか?』

現在アルフは、ハラオウン家の自宅であるマンションのリビングにいた。
留守番という立場ではあったが、戸締りをしさえすれば基本的に外出は自由だった。
では何故、ザフィーラの救援を求める声に即座に動こうとしないのか、それは――

「いくぞ! みんな! 変身だ!!」
「おう!」
「よし!」
「了解!」
「分かったわ!」

アルフの目の前にあるテレビのモニターから流れ続ける映像のせいにあった。
具体的にどんな内容かといえば、お子様向け勧善懲悪特撮ドラマ。
五人の正義の戦士が、それぞれ異なった色のバトルスーツを着こんで敵と戦う内容。
早い話、戦隊モノのDVDだった。

『えーっと、それで? そっちはどんな困った状況なんだい?』

とりあえず、話を聞いて緊急事態でないようだったら、DVDを見終わったあとからでも行けばいいか、などと考えるアルフだった。
しかしながら、彼女の意識はそのほとんどがDVDに集中しており、ザフィーラの話はほとんど彼女に耳に入ってきていなかった。
話半分、というよりももっと低い割合かもしれない。

『今こちらは、駅前のドラッグストアにいるのだが――』
『ああぁぁぁぁぁぁぁ!!』

急に大声を上げるアルフ。
アルフ以上にあわてた様子で、語りかけてくるザフィーラ。

『ど、どうした? 何があった?』
『――あ、いや。ごめんごめん。手に持っていたものを落としちまって……』

ちょうどテレビの中では、ヒーローの一人が敵と交戦中で不意に現れた敵の新手の攻撃を受けて、持っていた武器を取り落としてしまっていた。

『そうか、あまり驚かすな。それで、トイレットペーパーを――』
『おお! やっぱり!!』

再び大声を上げて、ザフィーラの話を遮るアルフ。
画面ではちょうど、ピンチに陥っていたヒーローたちのもとに新たな戦士が助けに来たところだった。
いままでの五人とはまた違う色の、そして若干のマイナーチェンジを施したようなデザインのスーツを身に着けていた。

『…………なにが、やっぱりなんだ?』
『え? ああ……その、ええと。あ、そうだ。おお、やっぱり、手が離せないから、そっちには別の人間を送るよ。ていうこと』

途中から、台詞を棒読みにするように言うアルフに対し、ザフィーラはいくらか不安に思いつつもアルフを頼ることにした。
今のザフィーラには、他に選択肢がないからともいえた。












自分を呼ぶ声が聞こえる。
しかし身体はピクリとも動かない。いや、動かせないといった方が正しいか。
午前中の授業から開放された少年少女たちが、にわかににぎやかになり始めた教室の中、一人身じろぎ一つしない少女がいた。
彼女は疲れていた。
その疲労の度合いたるや、もはや指の先を動かすことすらままならない。
それほどまでに激しい肉体労働を行ったのかといえば、そうではない。労働は労働でも頭脳労働。
脳みそがオーバーヒートを起こしそうなほど茹っている。そのため、先程から自分に呼びかける声に答えることができない。
結論を言うと、彼女、フェイト・テスタロッサは頭から煙を立ち上らせながら机に突っ伏していた。
教室の黒板に板書された内容から、午前中最後の授業は「国語」であったらしいことがうかがえる。
フェイトは思った。
この世界の、この国の言葉は、なぜこんなにも難しいのか。
このままでは、なのはやはやて、他の友人たちに大きく後れを取ってしまう。
最悪の場合、この「国語」という教科がネックとなって留年をしてしまうのではないか。
自分の苦手とする科目の授業を受けたことで、フェイトはこの上なくネガティブになっていた。
しかし、後に彼女は思い知らされることになる。
この国の教育システムには、中学卒業までの義務教育期間中に留年をすることがないこと。そして、短歌、俳句、古典、漢文と、フェイトをよりいっそう苦しめることになるであろうカリキュラムが、この「国語」という教科に含まれているということを。

『フェイト。フェイトってば!』
「う…………うぅ」

国語という名のバインドの呪縛から逃れ、しばらく時間がたったおかげか、フェイトはようやく自分を呼ぶ声に反応することができた。
もっとも、その反応もきちんと内容が理解できているか怪しいものであり、

『フェイト、頼みがあるんだ。えっと…………何だっけ? ……そうそう、ザフィーラがピンチなんだよ。ドラッグストアでトイレットペーパーの怪人と戦ってるから、至急助けがいるんだって』

用件と伝える側のアルフも、それまで見ていたDVDの内容が交じり合った複雑怪奇な事実を勝手に捏造していた。






「盾の守護獣! ザフィーラ、参る!!」
「喰らえ! プラチナペーパーバインド!!」
「ぬ!? なんのこれしき! 引きちぎってくれる!…………何!? 切れない!!」
「フハハハハハハ! 無駄だ! このペーパーバインドは我が結社の科学力の結晶! そうやすやすと破れたりはせん!」
「ならば! 『鋼(はがね)の軛(くびき) 』!!」
「な、何ぃ!?」






「おお……なんだか、すごい……」
『ちゃんと聞こえた? 内容は分かったかい? フェイト』
『ん………………分かった…………』
『ゴメンね。あたしが行きたいのは山々なんだけど、ちょっと手が離せなくて』

たまに一緒になって特撮DVDを見ていたせいか、フェイトのテンパった脳内では、さらにテンパった映像が絶賛放映中だった。
そんな中、何とか念話で返事をするフェイトだったが、彼女の状態は未だ机の上にだらしなく投げ出されたままであった。
しかし、心根の正直なこの少女は、彼女なりに自分の使い魔からのメッセージを受け取ったらしく、右手をもぞもぞと動かし、引き出しに手を入れる。
そこから取り出したのは、昨年末、母親にねだって買ってもらったばかりの携帯電話だった。












時空管理局巡航艦「アースラ」。
独特のフランクな空気を纏い、艦内の通路を歩く通信主任は至極ゴキゲンな様子だった。
彼女、エイミィ・リミエッタは一つの部屋の前で立ち止まる。
軽く咳払いをし、襟元を正す。自分の気持ちにスイッチがあり、それを切り替えるように姿勢を正した。右手に持つ、B5サイズほどの携帯端末を確認する。
ノックを二回。
しばし待つが返答が無い。
首を傾げ、再度ノック。
だが、返事は無かった。

「クロノくーん、いないのー? あれぇ? どうしちゃったのかなぁ?」

部屋の主、クロノ・ハラオウンはアースラ所属の執務官である。
つい数ヶ月前の「闇の書事件」の事後処理もひと段落を迎え、今は通常業務に戻っている。
目の回る忙しさのあまり、本当に目を回して倒れかけたのはそのときくらいのことで、部屋の中で前後不覚の状態に陥っているとは考えにくい。
しかしながら、他人に振ればいいはずの仕事も全て背負い込み、自分ひとりで片付けようとするクロノの性格を考えると、その可能性が無きにしも非ず、なのである。
エイミィは意を決してドアを開けた。

「なんだ、やっぱり留守か……」

エイミィの言葉どおり、部屋の中にクロノはいなかった。
かつての忙しさは無く、通常業務に戻ったとはいえ、それでもクロノは時空管理局の執務官である。
その多忙さをエイミィはよく知っており、それゆえクロノが自室にいなかったことを特に咎めることもなかった。
持っていた、携帯端末をクロノのデスクの上に置く。そこへ、デスクの上から拝借したペンと付箋でメッセージを残した。

「これでよし。…………ん?」

低くくぐもった唸るような音が聞こえる。
一定の長さでゆっくりとリズムを刻むようなその音は、エイミィの耳に届きその注意を向けさせた。

「お。これ、クロノ君のケイタイ?」

エイミィが、その携帯電話をつまみ上げる。真っ黒だった。
その、クロノの私物と思しき携帯電話がバイブレーションをしながら、メールの着信を告げていた。
その液晶の画面には、「フェイト」の文字。
その表示を見た途端、エイミィの好奇心がてっぺんから生えるアンテナ上のクセ毛とともに鎌首をもたげた。

――気になる。
――あの兄妹は、一体どのような内容のメールのやり取りをしているのだろうか?
――何せ、あの二人は見ていて気恥ずかしいくらい、お互いを変に意識しすぎている。
――直接電話をせずにメールをするあたり、それがよく表われている。

「というわけで、メールチェーック!」

どうやら彼女には、人のプライベートにズカズカと土足で入り込むことに疑問を感じる余地が無いようだった。
当然、クロノ限定ではあるが。

「タイトルは……、『おねがい』。おおぉーっと! これは期待できるぞー!」

執務官室に、結果的に無断で入り込んだにもかかわらず、一人で盛り上がるエイミィ。
彼女の親指は、的確にメールを開く指示を携帯電話に送った。

「なになに、『帰りに、トイレットペーパーを買ってきて』」

エイミィのテンションが急降下していく。それに伴って、面白そうな情報をいち早くキャッチしようとてぐすねひいて待っていた頭頂部のアンテナもしおれていった。

「つ、つまんない……。何よ、コレ。もー、もうちょっとこう、甘酸っぱいような、うれしはずかしなメールができないもんかねぇ……お。いいこと思いついた」

その生活感溢れるメッセージに悪態をつくも、エイミィはアイディアをひらめかせた。
ピコンと動くクセ毛。

「『了解した。買って帰る。それと、』んーと、『愛してる』と、よし! 送信〜」

黒一色の通信デバイスの持ち主に成り代わり、あらぬ内容のメールを作成し送信してしまうエイミィ。
だが、彼女の不穏な動きはまだ終わらない。

「あと、もう一ヶ所。えーと……………………。よし、もういっちょ送信〜」

ひと仕事終えた後の清々しさをたたえた顔で、エイミィはクロノの携帯電話を元に戻すと、鼻歌交じりに何食わぬ顔で退室して行った。
当然のことながら、フェイト宛に送られたメールが、フェイトを中心とした仲良し五人組の間で格好の話題の材料として扱われたことは想像に難くない。
アリサの猛攻にさらされるフェイトだったが、それはまた別の話。












「遅い……いくらなんでも、遅すぎる」

駅前のドラッグストア前。
通常の狼形態では問題があるとして、先日アルフに教えてもらっていた「子犬フォーム」へと移行したザフィーラであったが、それでも衆人環視にさらされながら、アルフの救援を待っていた。
ザフィーラ本人は不思議に思っていたが、動物というのはいるだけで人の視線を集める。いくら形態を変えたところで、注目を集めてしまうことは避けられなかった。

「にしても、念話もつながらなくなってしまうとは……。手の離せない用件とは一体なんなのだ?」

アルフを疑っているわけではないが、それでも未だ救援の来ない状態である。いい加減、ザフィーラもじれてきていた。
ちなみにアルフは、変身ポーズが有名なもう一人のヒーローのDVDを視聴中だったりする。

「仕方ない。アルフの言っていた代わりの救援とやらを待つとしよう…………む? アレは……」












「ただいまー。ヴィータ、ザフィーラ。ええこにしとったかー?」

八神家の玄関にはやての声が響き渡る。その声色は、今のはやての気持ちを代弁するかのような明るさがあった。
管理局の仕事が手早く片付いたこともあるが、彼女の機嫌がいいのはさらに別の理由がある。
庭に干していた洗濯物が取り込まれていた。たったそれだけのことで、はやてはゴキゲンだった。
なぜならば、留守番のヴィータが言いつけを守り、家事の手伝いをしたからである。

「シグナム。リビングまで超特急や」
「はい。主はやて。しっかりつかまっていてください」

そんな空気が伝わったのか、車椅子からはやてを抱き上げたシグナムもどこか楽しそうだった。

「それじゃ、はやてちゃん。私はタイヤを拭いておきますね」
「うん、おおきに。よろしくな、シャマル」

車椅子を家の中で使用するため、雑巾でタイヤの汚れを落とす必要があった。作業に取り掛かったシャマルを玄関に残し、はやてはシグナムに抱えられてリビングへと移動する。
そこではやては、目的地から漂ってくる甘い香りに気がついた。
その香りは、はやてのおなかをダイレクトに刺激してきて、はやては自分のおなかにある時計と、現在の時刻とがその想像通りだったことを壁に掛けてある時計によって知った。

「あ、はやて、シグナム。おかえり」

二人を出迎えたのは、椅子に腰掛け、口の周りを生クリームで不器用にデコレーションしたヴィータだった。
ちなみに、皿の上にはその生クリームの元とおぼしきケーキが、まだ半分ほど残っており、ヴィータは依然その洋菓子と格闘中だった。

「ヴィータ。そのケーキは何だ?」

シグナムがとがめるような、やや強い口調で問う。

「何って、翠屋のケーキだよ。あ、自分の分の心配してるのか? 案外意地汚いヤツだな。安心しろ、シグナムのもちゃんとあるぞ。もちろん、はやてとシャマルのも」

ヴィータの指し示す方向を見れば、翠屋のロゴが入ったケーキの箱があった。

「ほんと? わあ、わたし翠屋のケーキ大好きなんよ。めっちゃうれしいわあ」
「主はやて、今はケーキに喜んでいる場合では――」
「あかん」
「は?」
「そこは、『なんでやねん』って、突っ込むところや。はあ、シグナムには失望したわ……」
「(もしや、いまこそ『なんでやねん』と言うべきところなのだろうか?……いや、やめておこう)……ともかく、全員分のケーキをを買うほどのお金を、一体どうしたというのだ?」
「ああん、シグナムが相手してくれへん……」

我が道を行く、どこかハイな状態のはやてに邪魔されながらも、シグナムはヴィータに問いかけた。
よもや、ヴィータが八神家の家計の元となる財布に手を出したのではないかという疑惑を抱えつつ。
しかし、ヴィータの口からはシグナムにもはやてにも思いもよらなかった答えが返ってきた。

「リンディ提督のおみやげ」
「へ?」
「何?」

予想外の人物の名前が挙がったことで、二人は思わず間の抜けた声を上げてしまった。
八神家一同は、現在時空管理局からの保護観察を受けている。そのためリンディ・ハラオウン提督が訪れる場合、管理局がらみの用件である可能性が高い。八神家五人の直接の上官はレティ・ロウラン提督ではあるが、八神家とハラオウン家が同じ世界の比較的ご近所であることと、レティとリンディが親しい友人同士であることから、リンディがレティの代理でやってきたと考えることができる。
ところが、その場合矛盾が生じる。
ヴォルケンリッターの主であるはやてが帰宅したときには、すでにリンディの姿は無く、あるのはおみやげのケーキのみであった。
リンディが、はやてに面会をせずに辞去してしまうのはおかしい。
さらに、リンディがプライベートな目的で八神家を訪問することは考えにくかった。
はやてとシグナムの二人は、思考の行き止まりにぶち当たり頭をひねりながら立ち尽くすのみだった。

「私から事の成り行きを説明しよう」

そんな二人に救いの手を差し伸べたのは、ちょうど居間へと入ってきたザフィーラだった。

「頼む。ケーキに夢中になっているヴィータの説明だけでは要領を得ない」
「うむ」

普段の口数の少なさを象徴するように、ザフィーラは必要最小限のことをかいつまんで簡潔に説明した。

「――と、いうわけだ」
「ふんふん、なるほど。つまりアルフに救援を頼んだら、助っ人に表われたのがリンディ提督だった。ゆうわけやな?」
「はい。しかし、リンディ提督はクロノ執務官に乞われていらしたようです」
「けど、そうなると、アルフがクロノ君に直接頼むというのも考えにくいなあ……」
「……テスタロッサ、でしょうね」
「なるほど。アルフはフェイトちゃんに。フェイトちゃんはクロノくんに」
「そして、クロノ執務官はリンディ提督に、それぞれバトンをパスする要領で私の救援を回してしまったというわけか」

にわかに推理ゲームが始まり、正確な答えを導き出す三人。
そして、シグナムが確かめるように言う。

「そして、リンディ提督にトイレットペーパーを買ってもらい、なおかつ迷惑ついでに翠屋でケーキも買ってもらった、と……」
「……ああ」
「となると…………んー」
「どうかしましたか? 主はやて」

ザフィーラの説明を聞き終え、事実関係を確認したはやては、かつて読破した推理小説の探偵のように、あごに手を当て熟考し始めた。
そして、ヴィータが残りのケーキを食べ終え、物欲しそうな視線をテーブルの上のケーキの入った箱に這わせ始めたとき、はやては突如、目を見開いた。

「……あかん」
「……どうしました? 一体何が?」
「結果的に私ら、リンディ提督を『パシリ』にしてもうた……」
「む!」
「う!」

シグナムとザフィーラの顔が一気にこわばる。
自分たちのした恐れ多い行動に、三人は同時に背筋を走るおぞましい戦慄を覚えた。
そこへ三人とはまったく異なるほんわかとした空気をまとったシャマルが、主の座っていない車椅子を押して居間へとやってきた。

「? どうしたの? 三人とも固まっちゃって……あら、翠屋のケーキ? まあ、早速お茶にしましょうか」

心うきうき、足はいそいそ、台所へと入っていくシャマルにヴィータが思い出したかのように呼びかけた。

「あ、そうだシャマル。シャマル宛にリンディ提督から手紙を預かってるぞ」
「あら? 何かしら?」

シャマルのうっかりのせいで長時間トイレに閉じ込められる羽目になったヴィータだったが、翠屋のケーキという思いがけないご馳走の登場で、彼女のゴキゲンバロメーターはマイナスから針が振り切れんほどにプラスへと転じていた。
スカートのポケットから、丁寧に折りたたまれた便箋を取り出したヴィータは、中身を気にすることなくシャマルに手渡した。

「えーっと……ふむふむ……うぅっ!」

お茶請けのケーキを目前に喜色満面だったシャマルの表情がみるみる青ざめたものへと変わっていった。
シャマルの視線を注意深く観察すると、手紙の後半部分を何度も読み返しているのが分かる。
そんなシャマルの様子に気がついたのか、フリーズ状態から回復したシグナムが声をかけた。

「シャマル?……どうしたんだ?」
「…………はやてちゃん、シグナム、みんな。私……、これから……出頭してきます」
「出頭!?」

突拍子も無い単語に、声が裏返るはやて。

「急にどないしたん? その手紙に何が書いとった?」

力なくうなだれるシャマルから手紙を受け取り、ソファーへと移動してもらったはやては内容を読み始めた。
両脇からはシグナムとザフィーラが覗き込む。
そこには、大体以下のことが書かれていた。

『シャマルさん。あなたには、職を持つ主婦としての自覚が欠けています。今後、こういった失敗がなくなるよう、同じく働く主婦の手本でもある翠屋の高町桃子女史と協力して、あなたの指導・教育を行いたいと思います。ついては今後のスケジュールを組みたいと思いますので、近日中に私を訪ねてきてください』

「こ、これは……シャマルにとっては不運やな……」

シャマルのこれからの運命を思ってか、暗く沈んだ口調て語るはやて。

「翠屋でしばらく話し込んでいたのは、このためだったのか……」

リンディが翠屋に立ち寄った理由を知り、納得するザフィーラ。

「まあ……ともかく頑張れ」

わりと無責任な激励の言葉をかけるシグナム。

「シャマル。ケーキ食べないのか? いらないならもらうぞー」

そして、我関せずのヴィータ。






「何で、私だけー!?」






その後、今回のような事態を避けるため、八神家御用達パシリとして、「ユーノ・ホットライン」が開設される運びとなった。

「ちょ、何でさ!?」




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