「綺麗だ……テスタロッサ」
「あ、ありがとう……ございます。……は、恥ずかしいです」
「謙遜をするな。戦いに明け暮れてきた私だったが、世界にはこれほどまでに美しいものが存在するのだな……」
「褒めすぎです。シグナム」
「フッ。しかし、美しいな。叶うことならば、このまま私のものにしてしまいたい」
「あげても……いいです」
「……何?」
「シグナムになら……、私の……あげてもいいです」
「……いいのだな? テスタロッサ」
「……はい」

扉を一枚隔てた向こう側で織り成される会話に聞き耳を立てていた二人の少女がいた。
彼女たちは顔を真っ赤にしながら顔を見合わせ頷きあうと、部屋の中の二人に気取られぬよう、抜き足差し足でその場を後にした。




ホロスコープ・ラプソディ





「ただいまー」

弾んだ声が玄関から聞こえた。
シャマルに車椅子を押されて、はやてが帰宅する。
はやては、白を基調とした聖祥大学付属小学校の制服に身を包んでおり、彼女の車椅子には学校指定のカバンが提げられていた。
小学校に復学してからのこの数週間、はやてはずっと幸せそうにしていた。
純粋に学校に通えることが嬉しかった。
学校であった出来事を家族に語って聞かせることが楽しかった。
車椅子に乗っていることからも分かるように、彼女は足が不自由である。
しかし、学校に通い始める前にできた友人たちがいた。学校での生活で何か困ったことがあっても彼女たちが助けてくれている。
また、先の「闇の書事件」の処置として、時空管理局からの保護観察処分を受けている。
魔法がらみの用事で、学校を早退または遅刻しなければならないこともあった。
けれど、それらもろもろを差し引いても、はやての心には日々を楽しく過ごしている充足感があった。

「はやてー、おかえりー」

そんなはやてに負けず劣らずの笑顔で出迎えたのは、八神家の末っ子、ヴィータであった。
駆け寄って来るや否や、はやての膝にもたれかかる。

「ただいま、ヴィータ。たしか、今日はみんな家におるんやったな?」

家族全員の予定を思い出しながらチェックしていくはやて。
リビングを見渡すが、今はヴィータしかいなかった。
おそらく別の部屋かどこかにいるのだろう。そう考えたはやては、カバンを自分の手元に引き寄せた。
彼女には、おみやげがあった。家族みんなのびっくりした顔と笑顔が期待できるものがカバンに入っている。
まずは目の前にいるヴィータ、それと台所に移ってお茶の用意をしているシャマルに見せてあげよう。自然とはやての口元がほころんだ。

「今日はみんなにおみやげがあるんよ」
「おみやげ!?」

顔を上げ目を輝かせるヴィータ。
しかし、その期待に満ちた顔は、はやてが取り出した物を見た途端一変した。

「何コレ?」

自分の両の手のひらに乗せられたものは、白い筒だった。
ヴィータのその小さな手のひらを並べるよりも長い、その細い手首よりも太い筒をしげしげと観察している彼女を、はやてはにこにこしながら見ていた。

「新しいデバイス?」
「ちゃうよヴィータ。コレはな――」
「お茶が入りましたよー」

はやてがおみやげについて説明を始め使用とした矢先、シャマルがお盆にティーセットを載せてやってきた。
筒の説明をひとまず後回しにし、テーブルへとつく三人。
椅子を引いてはやてを座らせると、シャマルはヴィータの持つ筒に気がついた。

「あら? ヴィータちゃん。それ、なあに?」
「コレか? はやてにもらったんだけど……」
「この世界のデバイスかしら……?」

はやては心の中で、連続で突っ込む。

――ヴィータ、まだあげるとはひとこともゆうとらん。
――それにシャマル、何でもかんでもデバイスにしたらあかん。

「おや? 主、お帰りでしたか」

お茶の香りに誘われたのか、ザフィーラがテラスに面したガラス戸から顔をのぞかせた。
そして、ほぼ同時にヴィータの持つ白い筒に気がつく。

「それは……主の新しいデバイスですか?」

――ザフィーラ、繰り返しはギャグの基本や。プラス三点。

自らの敬愛する主から、よく分からない高評価を受けているものとは露知らず、蒼き狼は白い筒を弄り回す二人に合流した。
そのうちヴィータは筒の片方の端、円柱状の円を面にする部分に丸い穴が開いているのを発見した。
穴から中が覗けるようになっているが、透明なセロファンで蓋がしてあり筒の中に指を入れることはできなかった。

「ん?」

そして、見つけた穴の中が気になったヴィータはおもむろに覗きこむ。

「!」

筒の中にびっくりしたのか、すぐに目を離すヴィータ。
そんなヴィータの反応が楽しいのか、はやてはやさしく語りかけた。

「ヴィータ、ちょうこうやって、くるくるーって回してみ」

頷き、素直にはやての言うとおりにするヴィータ。

「お、ぉお、ぉおおーっ!」

筒を覗き込み、ゆっくりと回転させる。すると、ヴィータは瞬く間に興奮し歓声を上げた。
筒の中身が果たしてどうなっているのか、隣に座るシャマルは気が気ではない様子だった。
そして、ヴィータの足元にいるザフィーラも無関心を装いながらも、尻尾を振っているあたり気になっているらしい。

「それはな、『万華鏡』いうんや。今日の図工の時間で作ったんや」
「『万華鏡』?」

オウム返しに聞き返すヴィータにはやては筒の中身の種明かしをはじめた。
そして、その説明に聞き入っているヴィータの隙を突いてシャマルはごく自然な動作で、万華鏡を自分の手元に引き寄せ、さっそく中身を覗いていた。

「主はやて。お帰りでしたか」

はやてによる即席万華鏡講座が一段落したところで、シグナムが姿を現した。
どうやら外出から帰ってきたようだった。
シグナムは、テーブルに着きお茶をしているはやてとヴィータよりも、ザフィーラの目に白い筒を押し当ててくるくる回しているシャマルの方が気になった。
ザフィーラが尻尾を振っているのは余程の事であるし、何より「筒」がシグナムの興味を惹いた。

「主はやて。その……あの白い筒は、何かのデバイスでしょうか?」
「はぁ〜」

尋ねた相手であるはやては、何故か大きくため息をついた。

「シグナムには、正直がっかりや。なんやこう、『ひねり』が欲しいとこやったのに……」
「は? はぁ。ご期待にそえず、申し訳ありません……」

シグナムは常々思っていた。
「夜天の書」の守護騎士として作られ、今まで数多の主に仕えてきた。
その中で、「八神はやて」というこの少女は、間違いなく最高の主といえる。
この主に巡り会えて良かった。おそらく、他の騎士たちもそう思っているに違いない。
「夜天の書」の転生プログラムが無くなり、もはや次の転生が叶わぬとしても、この主に添い遂げることができるのであれば、これに勝る喜びはない。
ただ一つ、時折見せる先程のような不可解な言動だけは、ついていくことができなかった。

「ときにヴィータ。その筒は一体なんなのだ?」

不思議なスイッチが入ってしまい、ゴキゲン斜めのはやてからでは答えを得られない。そう考えたシグナムは、いつの間にか移り変わった筒の持ち主に問いかけた。
しかし、ヴィータは心ここにあらず。シグナムの声が届いていなかった。

「んー、はやてが学校で作ったんだって。……はぁ……」

何とか返事は帰ってくるもそれも上の空で、だらしなく口を開き、筒に目を押し当てしきりにため息をついている。
八神家に来て間もなく、はやてに買ってもらったウサギのぬいぐるみを見つけたときと同じ表情。
はやてがダメ、ヴィータもダメ。となれば、先程までこの筒を持っていた残る二人に聞いてみるのみ。
考えをまとめたシグナムが二人を振り返るが、いつの間にか姿が見えない。

「ん?」
「どうしたん? シグナム」
「え、ええ。シャマルとザフィーラの姿が見えないのですが……」
「二人やったら、散歩に出かけたで。多分、例の職を手に持つ主婦のどうたら、ゆうやつやと思う」

シャマルは時折、リンディに誘われて出かけていくことがある。
場所は決まって「翠屋」。
そこで、桃子を含めた三人で井戸端会議に華を咲かせるのが、最近のシャマルの楽しみだった。

「…………」

シグナムはあきらめきらないといった表情で、ヴィータの持つ筒を見つめる。
とはいえ、普通の人間には、今のシグナムからは表情を窺うことができない。
そのシグナムの表情を読み取れるのはごく限られた人間のみで、シグナムと付き合いの長いヴォルケンリッターと、その主であるはやてだけであった。
そう、はやてにはシグナムが何を考えているのかが分かる。
シグナムの意外な可愛らしい一面を垣間見たはやては自然と顔をほころばせる。
誰も気がつかないような、路地裏にひっそりと咲く一輪の美しい花を発見したときの、ある種の独占感に似た感情がはやてを支配していた。
だが、そのはやての笑みが実に表現しがたいものであった。
強いて表すとすれば、腹に何か黒いものを抱えている人間のそれである。

「主はやて、私もしばし散歩に出かけてきます」
「え? あ、うん。あんまり遅くならんようにな」
「はい」

そんなはやての考えを知ってかしらずか、シグナムはもやもやとした気持ちを振り払うかのような潔さで出かけていった。
















時をさかのぼること二時間。
場所は翠屋。
海鳴の駅前商店街にある喫茶店で、マスターはなのはの父、高町士郎。パティシエはなのはの母、高町桃子。
マスターの趣味が高じてか、店の名を冠する少年サッカークラブをも擁している。
客層は老若男女を問わず、さまざまな世代の支持を受けているが、この時間帯は小腹を空かせた女学生が店に集っていた。

「エイミィ、お待たせー」
「おお、美由希ー。待ちくたびれよー」

言葉とは裏腹に、上機嫌な様子のエイミィ。四人掛けのボックステーブルに陣取り雑誌を片手にコーヒーを少しずつ減らしていた。
反対側の席に座り、一息つくのもそこそこにエイミィを促し始める美由希。なのはの姉であり、士郎と美由希の娘である。

「それで、わざわざ呼び寄せたんだから、何かいい話なんでしょうね?」
「もっちろん。聞いて驚かないでよ? 『アレ』、手に入ったの!」
「ホント!?」

食事時ほどのピークではないが、店内にはお客がそこそこ多く入っていた。
女子学生の黄色い声の乱雑な合唱が、雑然としたにぎやかな空気を形作る。しかし、その中でも美由希の声は大きく、ひときわ目立っていた。

「あら、美由希。お帰りなさい」
「ただいま、お母さん」
「うん。けど、ちょっと声のボリュームが大きいわね」
「あはは。ごめーん」

注文をとりに来た、母桃子に軽くたしなめられるが、心ここにあらず。
自分の分のコーヒーを注文すると、早速エイミィとの会話を再開する。

「それで、エイミィ。『アレ』って、アレのことよね?」
「そう、アレ! ミッドチルダの首都クラナガン随一のトップパティシエによる、スイーツの最高傑作。完全予約制受注生産! 三ヶ月待ち、半年待ちは当たり前! それは、あたかも遠く地平線まで広がる雪原に舞い降りた、天使のごとき美しさ。その名も『ホワイトデビル』!!」

握りこぶしを高らかに上げ、口上を声高にまくし立てるエイミィ。
天使なのにデビルというよく分からない説明に首をかしげながらも、そのスイーツの名前に不思議な親近感を覚える美由希。
白い目を騒ぎの中心の二人に向ける周囲のお客。

「……っと、エ、エイミィ。少し落ち着いて」
「落ち着いてなんかいらんないよ! 私たちが求めていたお宝は、すぐそこ。ハラオウン家の冷蔵庫に鎮座してるのよ!?」
「いや、だからね……?」

他の客からの冷たいまなざしに気がつき、暴走し始めたエイミィを止めようとした美由希の声は、もはや届いていなかった。
通信主任の肩書きなどどこ吹く風。ゴーイングマイウェイ娘、エイミィ。ここに爆誕。

「その甘さは、曰く『死ぬほど』上品な甘さ、らしいわ。リンディ提督の飲んでるお茶の甘さなんか目じゃないわね!」
「そう。私のお茶の飲み方は、下品。そうおっしゃるのね? エイミィさんは……」

時が止まる。
表情をこわばらせ、そのまま文字通り凍りつくエイミィ。
そのエイミィの肩に乗せられた手。
そして、にっこりと微笑む、その手の主、リンディ。

「リ、リンディ提督……? 何で、こ、こちらに……?」
「何故って? 『手に職を持つ主婦の会』の集まりよ?」

顔には笑みを浮かべたまま、どす黒いプレッシャーでエイミィを押しつぶさんとするリンディ。
真っ青な顔をして身じろぎすることのできないエイミィ。その体中には冷や汗、もとい脂汗が噴出していた。
どうすれば目の前の親友が窮地を脱するこができるか?
思いを巡らせていた美由希だったが、彼女自身にも危機が迫っていることを自身知る由もない。

「私のお店の中で。あまつさえ、私の目の前で他のお店の『スイーツ』の話題を口にするなんて……。母さん、美由希をそんな子に育てたおぼえはないわよ?」

再び時が止まる。
その声に、体の自由を奪われる美由希。
目の前に置かれたコーヒー。
黒地に「翠」のワンポイントが特徴の翠屋従業員エプロン。
やはりこちらも、にっこりと微笑んでいる、翠屋の『パティシエ』桃子。

「……お、お母さん。あ、あのね……?」
「何か、申し開きすることは、あるかしら?」
「あ、ありません」

この状態になった桃子には、百戦錬磨の父士郎でもかなうまい。
そんなことを頭の片隅で思いながら、これから繰り広げられるであろう地獄の説教時間におびえる美由希の姿があった。



エイミィと美由希にとっての、果てしなく長い長い悪夢の時間は、シャマルという名の癒しの風が吹くまで続けられることになった。









「シグナム? どうしたんですか? 急に」
「ああ、お前に頼みがあってやってきた。お邪魔だったか?」

ハラオウン家の玄関先で、フェイトとシグナムが向き合っていた。
たずねてきたシグナムと、出迎えたフェイト。
フェイトは家の中を振り返り、自分以外の家族が出払っていることを思い返した。

「今は誰もいませんし、私も特に用事はありませんから……。どうそ、上がってください」
「すまない。失礼する」

リビングに移動した二人であったが、視線をあわせることもなく立ち尽くしてしまっていた。
フェイトは、こういった来客のもてなし方というものに慣れていない。複雑な家庭環境から来るものであろう。
シグナムからすれば、ここはハラオウン家であり時空管理局でも曰くのある家である。着席を促されぬままおいそれとソファーに腰掛けることもできない。
二人のぎこちない関係を投影したかのような、気まずさの混じった空気が場を支配した。

《Please sit》

女性しかいないこの家の中で、不意に男性の声が上がる。
だが二人は驚いた様子もなく、むしろほっとした表情を浮かべている。

「ああ、すまない。バルディッシュ」

バルディッシュ。フェイトのインテリジェントデバイスである。
テーブルの上に載っていた「彼」が、二人の様子を見かねてシグナムに声をかけたのだった。

「あ……えと、シグナム。何か飲みますか?」
「いや、そんなに気を使わないでくれ」

冷蔵庫の扉に手をかけていたフェイトだったが、シグナムの言葉を受けてその場から離れる。
そして、すでにシグナムの座っていたソファーの斜め向かいに腰掛け、シグナムに問いかけた。

「それで、私に頼みって、何ですか?」
「ああ、そのことなんだが……」

言いよどむシグナム。
フェイトには、彼女の表情から迷いが見て取れた。
話すべきか話さざるべきか。
先程のバルディッシュのように、一言声をかけてシグナムをうまく促せればよいが、フェイト自身にはその器用さというものがなく、彼女自身もそれを自覚していた。
なので、シグナムが決心して口を開くまで、フェイトはじっくり待つことにした。

「テスタロッサ。最近、学校の方はどうだ?」
「え、へ? 学校、ですか?」

しばしの後、シグナムの口から、フェイトへの頼み事ではなく、年頃の娘とのコミュニケーションに戸惑う中年男性の定型句のような言葉が炸裂した。
その、何か回りくどい言い方が気になりつつも、フェイトは目上の親しい人間に律儀に対応する。

「えと。特に変わりありません。楽しくやってます」
「そうか。主はやては、どのようなご様子だ?」
「はやても楽しくやってますよ。学校にもすぐに慣れたみたいですし。とは言っても、私も学校に行き始めてから少ししか経っていないんですけど……」

シグナムはフェイトの言葉を満足げに噛み締めていた。
彼女が願うのは、主はやての幸せ。
今までとはまるで違う「学校」という環境に、主を一人きりで送り出さねばならなかったヴォルケンリッターたちは、それこそ気が気ではなかった。
だが、シグナムは今のフェイトの話を聞いて、心の平穏を取り戻すことができた。
主はやてのそばには、自らが好敵手と定めし魔導師がいる。そしてもう一人、不屈の魂を胸に秘める白い魔導師もいる。
「夜天の魔道書」もう一人の騎士が認めた、この上なく頼もしい存在が。

「シグナム?」
「ん、ああ、すまない」

シグナムは、しばしじっと目を閉じ、考えにふけってしまっていた。
目を開き、素直にフェイトに詫び、そして若干居住まいを正し再び問いかけた。

「話は変わるのだが……。テスタロッサ、その、今日学校で、……このような『筒』を作らなかったか?」

シグナムは両手の指で『筒』の大きさを示す。
対してフェイトはすぐに合点がいったようで、返事をする。

「はい、作りました。……けど、何で?」

このフェイトの「何で?」には、いろいろの意味合いが含まれる。
「何で?」シグナムは学校での出来事を知っているのだろう?
「何で?」はやてではなく、自分を訪ねてきたのだろう?
「何で?」わざわざ回りくどく聞いてきたのだろう?
様々な「何で?」という疑問が頭をよぎったが、一つだけ答えがはっきりしていることがある。
シグナムは、その「筒」が見てみたいのだ。

「私の部屋においてあります。見てみますか?」

シグナムが万華鏡を見たいと思っていたことは事実であった。そして、その「見たい」という気持ちを隠しきれていていないのも事実であった。ハラオウン家につき、目的の物に近づいてきたためこの気持ちが昂ってしまったようだ。

「いいのか?」

意外にもすんなりとその目的が達せられそうだったため、シグナムとしては拍子抜けのような感じであった。

「はい。それじゃ、私の部屋に行きましょうか」
「む? ……うむ、そうだな」

返事をして立ち上がったはいいが、シグナムは鼓動が大きく一つ跳ねたのを感じた。

「(テスタロッサの部屋、か……)」

若輩ながら自分と同等に渡り合う優秀な魔導師であるフェイトに、シグナムは並々ならぬ関心を寄せていた。
その戦闘技能は言わずもがな、最近になって、その素直な人柄にも惹かれつつある。
フェイトの部屋がどうなっているのか思いを巡らせたとき、不意に感じた心の高鳴りの原因にシグナムは気付かなかった。
ここに至ってシャマルが評した、フェイトはシグナムのお気に入り、というのは非常に的を射ていたものだった。







シグナムを連れ立ったフェイトが自分の部屋へ引き払うのとほぼ同時に、ハラオウン家のドアを開ける者がいた。
げっそりとやつれた表情の二人の少女。

「ささ……上がって、美由希」
「うん……ありがと」

一人はこのハラオウン家の住人の一人、エイミィ。
そして、もうひとりが彼女の親友、美由希。
重たい足を引きずるようにリビングへ向かう二人。まるで、フルマラソンを走り終えた直後のランナーのような足取りでリビングへたどり着くと、目に留まったソファーにそれぞれ倒れこむ。
彼女たちの疲労は目に見えてピークだった。それぞれ、上官と母親、頭の上がらない存在に小一時間みっちりと絞られてきたのだ。そのやつれ具合も納得できる。

「……エイミィ」
「……なあに?」

ソファーに倒れこんだまま、頭も上げずに声をかける美由希と、同じく身じろぎ一つせずに答えるエイミィ。

「今日、この家に他に誰かいる?」
「んー? 確かフェイトちゃんがいるはず……。あれ? そういえば、玄関にあったあの見慣れない靴は誰のだろう?」

エイミィは、玄関にあった靴の事を思い出していた。
女性物の靴。サイズからしてフェイトのものではない。アルフやリンディは外出中だし、そもそも彼女たちの靴ではないことは知っている。無論、自分のものではない。

「誰か、お客さん来てるのかな?」
「うーん、お客さんか……」

正直、エイミィにとってフェイトを尋ねてきている来客などどうでもよかった。
頭の中を、最高級スイーツ「ホワイトデビル」のことででいっぱいにしている。早く口にしたいと思うのは山々だったが、もう少し身体を休めてから、というのが本音だった。
だが、相方である美由希は、まだ見ぬ来客に非常に敏感になっていた。

「ねぇ、お客さんが来てるのはまずくないかな?」
「え、何で?」
「だって、私たち二人だけでスイーツを食べてるときに、お客さんに出くわしたら……気まずいじゃん。それに、フェイトちゃんをほっぽっといて、ていうのも問題だし」

美由希の言うことはもっともな話で、少しでも自分たちの立場が危うくなるような可能性を少なくしたいのだった。
まあ、誰でもこってりとお説教を喰らえばそうなるだろうが。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。こんなこともあろうかと、同じお店のプリンをたくさん注文しておいたから。このプリンも結構有名なのよー」

心配する美由希を落ち着けるように、気配りのできる女、エイミィがゆっくりと立ち上がりながら言った。
美由希もエイミィにつられて身体を起こす。少しは回復したようだった。

「それじゃ、フェイトちゃんとお客さんにプリンを持っていって、私たちは私たちで楽しみますか」
「お、いよいよですねぇ」



しきりに、ふむふむと頷きながら、部屋の中を徘徊するシグナムがいた。

「シグナム……その、あまりジロジロ見ないでください……」
「む、ああ、すまない。主はやての部屋と比べると、どうも少し落ち着かなくてな」

フェイトの部屋を訪れたことのある人間は、まだ数えるほどであった。
まず、同じ家に住む家族、アルフやリンディたち。そして親友である、なのはやはやてたち。わずか数名である。
にもかかわらず、フェイトは今のシグナムを見て、既視感に襲われていた。
じっくりと思い返していくと、ある一人の人物に行き当たる。
このわずか数名のうちの、唯一の異性。フェイトの義兄、クロノ・ハラオウンである。
この数少ない訪問者の中でも、一番訪問回数の少ない彼だったが、一番最初に見せた行動はまさに今のシグナムと同じものだった。
ちなみに、クロノがフェイトの部屋を見て発した感想が、

「ああ、すまない。エイミィの部屋と比べると、どうも落ち着かなくて……」

というものだったため、フェイトがデジャヴュを覚えるのも無理ならぬ話であった。
フェイトはシグナムが促すよりも先に、学校のカバンを開け目的の物を取り出した。
これ以上、自分の部屋をシグナムの好奇の視線にさらされるのを防ぐためだった。

「はい、シグナム。『万華鏡』です」
「すまない。……『万華鏡』というのは、このデバイスの名前なのか?」

受け取りながら礼を述べるシグナムに、フェイトは頭を抱えた。

「どうかしたのか? テスタロッサ」
「いえ……それよりシグナム。家ではやてに呆れられませんでしたか?」
「……何故分かる?」
「その、何でもかんでもデバイスって言うクセ、直した方がいいですよ」

先日の花見の席で、同じようなことをシャマルから言われているシグナムだったが、いまだ直っていなかったようだ。
フェイトにたしなめられたことに少々眉をひそめるシグナムだったが、それでも今自分の手には目的のものがある。
シグナムは早速、先程ヴィータがしていたように万華鏡を目に当てた。

「…………」
「どうですか? うまくできているでしょうか?」

実のところ、作ったフェイト自身も万華鏡に触れるのは今日が初めてだった。
そのため、きちんと作れているのかはっきりとした自信がなかった。
学校で、友人たちと見せ合いをしていたが、なのはやはやてたちの作ったものの方が綺麗に見えた。それに、友人たちがフェイトの作った作品を綺麗だとほめてくれたものの、やはり第三者の冷静な目で見てみた意見というものが欲しかった。

「……シグナム?」

その点、今フェイトの作った万華鏡をのぞきこんでいる女性は、お世辞やおべっかなど不器用なことをしないため客観的な感想を求めるのにふさわしい存在だった。
じっくりと万華鏡を堪能した後、シグナムはフェイトに視線を戻し、直球ストレートな意見を投げ込んできた。

「綺麗だ……テスタロッサ」
「あ、ありがとう……ございます。……は、恥ずかしいです」

その物怖じしない素直な感想に、フェイトは思わず顔を赤らめる。

「謙遜をするな。戦いに明け暮れてきた私だったが、世界にはこれほどまでに美しいものが存在するのだな……」
「褒めすぎです。シグナム」
「フッ。しかし、美しいな。叶うことならば、このまま私のものにしてしまいたい」

今まで生きてきた中で、このように自分の成果を褒められたことは数少ない。それこそ、人為的に埋め込まれた「姉」の記憶の中でこそ希少であった。
そのため、フェイトは自分を認めてくれたシグナムに対して何か報いたいという想いが膨れ上がってきた。

「あげても……いいです」
「……何?」
「シグナムになら……、私の……あげてもいいです」

純粋な気持ちだった。
フェイトは武人然としたシグナムのことが好きだったし、その彼女が時折見せる可愛げのある仕草も好きだった。
だからこそ、何か贈り物をしたいという気持ちが強くあった。

「……いいのだな? テスタロッサ」
「……はい」

しかしながら、一連の会話を扉の外で聞いていたエイミィと美由希には、もちろん中の様子が見えないため、その声のみで察するしかない。
エイミィは、二人分のプリンとティーセットの載ったお盆を片手に、ノック寸前の体勢で止まっていた。
美由希は少し上向きに、片手で鼻の頭をつまみ、もう片方の手で自分の首根っこをチョップでとんとんと叩いている。
やがて示し合わせたかのように視線を合わせ頷きあうと、中の二人に気付かれないように、気配を殺してその場を後にした。



その若干赤みがかった顔に、「こりゃいいもん見つけた。みんなに教えてやらにゃあ」とでもいわんばかりの、邪悪な笑みを浮かべて。



後日、海鳴方面へは美由希から、時空管理局方面へはエイミィから、それぞれこの情報が一気に流出、拡散。
誤解が解かれるまでのしばらくの間、フェイトとシグナムの二人は、さんざん周りの人間にいじられることとなったのは言うまでもない。



この作品の公開後、「万華鏡」=「カレイドスコープ」ですよ。とのご指摘を頂きました。
確認してみるとそのとおり。私の記憶違いというものでした。
とはいえ、一度公開してしまった以上、タイトルの変更を行うことはいたしません。
自分の認識の甘さを晒すことによって、自らへの戒めとしようと思います。

まあ、そんなわけですので、同様のご指摘をして、私をいじめないようお願い申しあげますw


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