妖怪


柔らかな日差しが街を照らす。
海沿いにある、ここ海鳴の街は気候が穏やかで、特に今日は雲ひとつない空模様のおかげか、いつにも増して過ごしやすい一日だった。
太陽が最も高い位置からやや傾き始めてはいるものの、まだしばらくは暖かな時間が続く。
そんな海鳴にあるここ八神家も、例外なく太陽からの恩恵を受けていた。
テラスに面したガラス戸から差し込む陽の光でひなたぼっこをしているのは、盾の守護獣ザフィーラ。
眠っているわけではないが、目をつむり身体を丸めのんびりとすごしていた。
部屋の中にはあと二人いた。
食卓に用いるテーブルに腰掛けて懸賞つきのクロスワードパズルの雑誌と向き合っているのは、湖の騎士シャマル。
両手にはめた指輪状のデバイス、「クラールヴィント」の宝石が明滅していることから、どこかと通信を取りながらパズルに取り組んでいる。
そして、もう一人。
ソファーにだらしなく腰掛け、テレビに映る映像をぼうっと見つめ続けるのは、鉄鎚の騎士ヴィータ。
この国の国技の中継映像なのだが、観客はまばらでお弁当をつつきながら歓談している人たちもいた。
ヴィータも熱心に見入ってるわけはなく、他にすることもないのでなんとなく見ているといった感じであった。

「今戻った」

そんなのんびりとした空気のリビングに、どこか場違いな雰囲気のシグナムが戻ってきた。

「あら、お帰りなさいシグナム」

立ち上がりリーダーをねぎらったシャマルは、そのままお茶の用意をし始める。シグナムはどうやら仕事から帰ってきたらしい。
台所に引っ込んだシャマルはともかく、耳を一回だけピクリと動かしそのままタヌキ寝入りを決め込むザフィーラと、微動だにしないヴィータの態度はあまり褒められたものではないが、シグナムは特に何を言うでもなく、逆に普段と違うヴィータの様子を見て心配するそぶりを見せた。

「ヴィータは一体どうしたんだ? いつになく不機嫌なようだが……」

ヤカンでお湯を沸かし始めたシャマルに問いかけるシグナム。
つまらなそうにテレビを見ているヴィータの様子を見て、シグナムは長年の付き合いから機嫌が良くないことを悟っていた。

「ああ。実はね、今なのはちゃんとテスタロッサちゃんが、はやてちゃんのところに遊びに来てて――」
「なるほど、締め出しを喰ったという訳か……」
「そういう訳じゃないみたいなんだけど……」

なのはとフェイトの二人が訪れたとき、気を利かせた二人はヴィータも一緒に遊ぶよう声をかけた。
しかし、遠慮したヴィータは今こうして一人ふてくされてリビングにいた。

「素直ではないな。一緒にいたいのならばそう言えば良いものを」
「うるせぇな! あたしはあたしの好きにしてるからいいんだよ。ほっとけ!」

シグナムは特にからかったというわけではないのだが、ヴィータの癪にさわったようだった。
ヴィータはおもむろに立ち上がるとザフィーラに声をかける。

「おい、ザフィーラ。散歩に行くぞ」
「む……分かった」

のんびりと日光浴を満喫していたザフィーラだったが、呼ばれてしぶしぶ立ち上がる。
恨めしそうな視線をシグナムに向けて、ゆっくりとヴィータの後をついていった。









「うわー、やっぱり本が多いね」

子供ながらの素直な感想をこぼすなのは。
はやての自室に通されたなのはとフェイトは、落ち着きなく部屋の様子を見回している。二人とも立ったまま本棚に並んだ本を物色していた。

「二人とも。落ち着いてお茶でものんでや」

自分の部屋をじろじろと見られることに耐えられなくなったのか、はやては二人にお茶を勧める。

「ここの本、全部はやてちゃんが買ったの?」

なのはの疑問に、はやては本棚の一角を指差しながら説明する。

「ううん。ほとんどが元から家にあったやつや。私が買うたのは、そこの文庫本とかやな。そういえば、フェイトちゃんの部屋にもぎょうさん本があったな?」

話を急に振られたフェイトは、少し驚いた様子を見せるも、自分の部屋のことについて話し始めた。

「うん。執務官試験に必要な参考書とか、法律の本とかだけど……」
「そういえば、フェイトちゃんは執務官目指しとるんやったな。やっぱり自分で買うたん?」
「ううん。クロノのお古。色々と執務官試験のことを教えてくれたり、勉強も見てくれたりするから、ホント助かってる」

言いながら、フェイトははやての瞳の奥底に灯る怪しい光に、なにやらよくないものを感じた。
どす黒い何かを抱えた不気味な笑顔をして、はやてはフェイトに話しかけた。

「ええなー、フェイトちゃんは。頼りがいのあるお兄ちゃんがおって。甘え放題やな?」
「そ、そんな! 甘えてなんていないよ!」
「ムキになるところが怪しいなあ?」
「そ、そんなこと……ないよ!」

顔を赤くしてたじろぐフェイトに、なのはが助け舟を出した。

「はやてちゃん。フェイトちゃんが困ってるから、その辺で……」
「そやな。まあ、二人のことは後でエイミィさん辺りに聞くとして――」
「もう、はやてったら」

話の流れを変えない限り、延々とはやてのセクハラにあってしまうと考えたフェイトは、手近な本の一冊を引き抜きはやてに話しかけた。
よほど焦っていたのか、フェイトは本のタイトルを見ていなかった。A4版の三センチほどの厚みのある、やや重めの本だった。

「ねえ、はやて。この本も読んだことあるの?」

フェイトの思惑は、取り急ぎこの流れを断ち切ること。きっかけは何であれはやての意識を自分とクロノの関係からそらすこと。
フェイトがとった手段は、はやてが食いつきそうな話題を、自分から提供することだった。

「お、これはこれは。なかなか懐かしい本をとってきたな、フェイトちゃん」
「なになに? え、……『日本大妖怪図鑑』……?」

好奇心から顔を突っ込んだなのはであったが、その本のタイトルを読んで思わずひるんでしまった。
おおよそ、つややかなブロンドの髪が美しい可憐な少女が、胸の前に掲げて立つにふさわしくない題目の本である。

「え? 妖怪?」
「妖怪大図鑑か……子供の頃、これ読んで夜中眠れんようになったこともあったわ」

「妖怪」という聞きなれない単語に、戸惑い立ち尽くすフェイトから本を受け取ったはやては、パラパラとページをめくり始める。
そこには、日本にいる数々の妖怪が、おどろおどろしいイラストともに紹介されていた。
そんな妖怪の姿を見て、フェイトはようやく自分が手に取った本の内容を知るに至った。
はやてはそんなフェイトの様子に気付くことも無く、ページをめくり続ける。

「まあ、今ではここに載ってる妖怪ですら、はだしで逃げ出すような物騒な家族になってしもうたけどな」

シグナムを始めとする守護騎士ヴォルケンリッターの面々を思い浮かべながら、自虐的な笑みをこぼすはやて。
しかし、フェイトとなのははそんなはやてのことなどお構いなしに、いつの間にかフェイトの手に戻った妖怪大図鑑のページをめくるのに忙しそうにしていた。

「ねえ、なのは。これってどんな妖怪なの?」

フェイトはページをめくる手をいったん止め、目に留まった妖怪についてなのはにたずねてみた。
なのはは、その妖怪のイラストと名前を見てフェイトに説明を始めた。

「えーっと、『枕返し』さんか。これはね、寝ている人の枕を足元に持っていっちゃういたずら好きな妖怪さんなの」
「…………それだけ?」
「え?」
「この妖怪って、枕を動かすことしかしないの?」
「うん。……たしかそのはず」

今ひとつ釈然としない顔のフェイトに、はやてが説明を付け加えるべく話しかけた。

「フェイトちゃん。『枕返し』いうんはな、こう見えて結構怖い妖怪なんよ」

いつの間にか持ってきていた、自分の枕を掲げ二人の注目を集める。
二人の視線が自分に向いたことを確認すると、一つ咳払いをし説明を続ける。

「枕は寝るときに必ず使うやろ? 言わば夢の世界へのチケットみたいなもんや。そのチケットが寝ているときにどっかいってみい」
「それは……困るね」
「フェイトちゃん、ただ困るだけやあらへん。電車に乗るときに買った切符を途中で無くしてしまうのと一緒や」
「切符を無くしたら、駅から出られないの」
「すると。枕というチケットが無くなると……夢の世界から帰って来れない……?」

会話の中で「枕返し」の怖さについて結論に達すると、はやては満足そうな笑みを浮かべた。

「ご名答。『枕返し』はただのいたずら好きな妖怪やあらへん。寝ている人を『死』へと誘う妖怪や」

さらりと言ってのけたはやてとは対照的に、神妙な面持ちで図鑑を食い入るように見るフェイト。
自分なりに、この「枕返し」という妖怪に対しての知識を深めようとしているらしい。
そんなフェイトの様子を見ていたなのはの瞳に、さきほどのはやてと同じ色の煌きがあったのをフェイトは残念ながら気がつくことができなかった。

「そういえば、私もこの枕返しにあった事があるの……」

小さな呟きだったが、フェイトは傍で見ていて面白いくらいに過剰に反応した。
はやての持ち物であることも忘れ、図鑑を派手に投げ捨てる。なのはの両肩をがっしりと掴み激しく揺さぶった。

「な、なのは! 大丈夫だった!? 痛くなかった!?」

完全に我を忘れたフェイトの暴走を止めたのは、ページの開いた妖怪図鑑を帽子代わりに頭に載せたはやてだった。

「あー、もしもし。フェイトちゃん。このままやったら、なのはちゃん、本当にあっちの世界へ誘われてまうよ?」
「え? ……あ」

フェイトのありったけの力でもって振り回されたなのはは、完全に目を回していた。
なのはは思った。フェイトをあまり困らせるようなイタズラはやめよう、と。

「で、なのはちゃん。ほんとに本当に『枕返し』あったことあるんか?」

頭にかぶさった本を元に戻しながらはやてが問いかける。

「うーん、朝起きたときに足元に枕があったのは本当だけど、右側に壁と窓があって……」
「……なのは。それって、単になのはの寝相が悪かったってこと?」
「にゃはは……、実はそういうこと」

フェイトとはやての二人の口から、とても大きなため息がこぼれる。
フェイトは言わずもがな、はやても多少心配していた。その心配が全くの徒労だったことに、二人ともあきれていたのだ。

「あ、でもでも。もう前みたいなことは全然ないよ。寝相がよくなったみたい」
「そうなん? 寝相ってそんなにすぐによくなるものなんかな?」

はやてに指摘され、なのはは少し考え込んだ。

「うん。そう言えば、ある時を境にぴったり治ったような……」
「ある時って、いつくらい?」
「えーっと、ちょうど私とフェイトちゃんが初めて会ったときくらいかな」

なのはの言葉を聞いて、はやては一人納得した様子で頷いた。

「なるほどなるほど。分かったわ」
「え? 何が分かったの? はやてちゃん」
「なのはちゃんの寝相が良くなった理由や。多分、妖怪の仕業やな」
「ええ!?」
「は、はやて。そんな、妖怪って! なのはが危ないんじゃ!?」

驚くなのはと、そのなのは以上に興奮するフェイトをなだめながら、はやてはその妖怪について説明をし始めた。

「妖怪の名前は『枕イタチ』。危険は……まあ、あらへんな。そんな度胸も無いやろうし……」
「?」
「?」

はやての説明に完全に納得できないなのはとフェイトは、目を合わせ首を傾げるばかりだった。









「はっくしょーん!」

公園のベンチに座って本を読んでいた少年が、ひと際大きなくしゃみをした。
鼻をすすりながら周りを見回しつぶやく。

「誰か僕の噂でもしてるのかな……」

暖かな日差しを受ける海を臨む公園には、日曜日の午後を満喫すべくカップルや家族連れの姿がちらほらと見受けられた。
日はまだ高く、くしゃみをするほど冷え込んでいるわけではない。
気を取り直し再び本の世界に没頭し始めようとしたところで、彼は自分の名前を呼ばれるのを聞いた。

「お、ユーノじゃねえか」

呼びかけられた少年、ユーノは声のしたほうを振り向いた。するとそこには、狼形態のザフィーラを連れたヴィータがいた。
名目上「犬」の散歩であるため、ザフィーラはリードにつながれた状態である。しかし、そのザフィーラは狼形態でも明らかにヴィータよりも大きな体躯をしているため、非常にアンバランスな印象を受ける。

「やあ、ヴィータ。散歩かい?」
「ま、そんなところだ」

ユーノの問いに答えながら、ヴィータはユーノの隣に腰掛けた。
暖かな日差しを受けて歩いてきたためか、ヴィータは出かける前よりも幾分表情が柔らかくなっている。
だが、そんなことを知らないユーノの目には、今のヴィータは機嫌が悪いように映っていた。膝にの上に置いてある読みかけの本を指でトントンと叩きながら、ユーノは何を話しかけようかと考えを巡らせていた。
ところが、先に話しかけてきたのは、その本に目を留めたヴィータだった。

「ん? なあ。その本、何だ?」
「ああ、これ? ちょっと必要になって……」

ユーノが持ち上げた本を、半ば奪い取るような形で自分の手元に引き寄せるヴィータ。

「なになに、『寝相をなおす100の方法』? ぷっ。だっせー! お前、その歳にもなって寝相悪いのかよ?」
「ちょ、違うよ! 僕じゃなくて……」

げらげらと笑うヴィータに、ユーノは抗議の声を上げるも彼女の耳には届かない。
代わりに野太い男性の声がユーノの頭の中に直接届いてきた。

《その本は、スクライアのための本ではないのだろう?》
「え?」

ヴィータの声ではない。ヴィータのその向こう、ザフィーラの声である。
声といっても、思念通話での声である。動物が人の言葉を話すのは色々と問題があるため、外出時にザフィーラがとるコミュニケーションの手段はこれに限られてくる。

《そう気にするな。ヴィータもあまり寝相がいい方とはいえないからな……》

伝えることだけ伝えて、ザフィーラはそれきりだんまりを決め込んでしまった。
ザフィーラの言葉に幾分気持ちを落ち着けたユーノは、隣に座る女の子をまるであやすかのように、その頭を撫でた。

「! な、なんだよ! 急に」
「なんでも……。この本、こんどはやてちゃんにも貸してあげようかな……」




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