オイスター
「……でね、のどかがね……」
私、ネットアイドル「ちう」、こと長谷川千雨の前で友人の話に興じているのは、早乙女ハルナ。
麻帆良学園女子中等部3−Aに在籍している、一応私のクラスメイトだ。
私の彼女に対する認識は、
ただのバカ
である。
そもそも、何でこいつは私の部屋まで押しかけてきて、一人でしゃべりつづけているのだろうか。
私は、学校から帰宅したときのことを思い返し始めた。
――――二十分前。
「なんだ、こりゃぁ」
目の前にあるのは、牡蠣だった。
カキ目イタボガキ科の二枚貝。オイスター。
説明はどうでもいいか。
「生臭ぇ」
殻つきの新鮮そうなやつが、発泡スチロールの容器にこれでもかといわんばかりに詰め込まれ、私の目の前に鎮座ましましている。
帰宅すると、部屋のドアの目に荷物が届いていたので、とりあえず中に運んでみた。
発泡スチロール製の箱だったので、とりあえず台所で封を開けてみて、ここにいたる。
宅配便の伝票で送り主を確認してみるが、見たことのない会社名が記されているだけだった。
懸賞に応募した憶えもないので、送り主はわからないままだ。
送り先は、間違いなく私「長谷川千雨」宛だった。
「誰か、私のファンか?」
口に出してみるも、問題は一向に解決しない。
そもそも、自分のホームページで「牡蠣」が好きだと公表したおぼえもないし、それ以前に私の本名宛で荷物がきている。
「ストーカー? いや、まてよ……」
考えが堂々巡りを始めたので、ひとまず送り主についてあれこれ考えることはやめにした。
「とりあえず、この大量の牡蠣をどうするかだな……」
はたして、得体の知れない送り主からの食べ物を食べていいものだろうか?
仮に食べるとしても、この量を私一人で処理できるだろうか?
やっぱり捨てるか?
それならいっそ、うちのクラスメイトどもにくれてやろうか?
だが、そこで食中毒とかおきて責任を問われてもいやだし……。
――ピンポーン。
思考のループにとらわれそうになったとき、玄関のチャイムが鳴った。
「やっほー。長谷川ぁ、またインターネットつかわせてくれなーい?」
私がドアを開けるよりも先に、ずかずかと部屋に入り込んでくるこの女は、早乙女ハルナ。
「こら、勝手に入ってくるな」
「ごめーん、ちょっと調べたいことがあってさぁ」
すでにパソコンのスイッチを入れ立ち上げはじめている。
以前なら、ここで私は慌てふためいていたところだろう。だが、これも何回かしているうちに慣れてしまった。実を言うと、こいつが私の部屋に入ってきてパソコンを使うのは初めてではない。
最初こそ、ネットアイドルの秘密がばれそうになったが、今では、以前使っていたお古のパソコンを専用機として使わせてやっている。無論、ことネットアイドルに関する情報はすべて消去してある。
本当なら、こんなことをしてやる義理はないのだが、ネットアイドルという私の正体がばれてしまうというリスクを考えれば、ある程度お膳立てしてやったほうがいいという判断だ。
台所から、部屋へ戻ってきて早乙女の後姿へ声をかける。
「てゆーか、私のとこじゃなくても、もっとパソコンに詳しいやつらがいるじゃんかよ」
「えー、やだよ。チャオたちは逆に詳しすぎて、説明についていけないんだもん。レベルが違いすぎるってヤツ?」
一応返事は返ってくるが、顔はディスプレイに向いたままだ。
「よーし、立ち上がったぞー。さーてと」
と、まあこんな感じで、十分程度で調べ物の終わった早乙女は、さっさと部屋に帰ればいいものを、ずっと私相手に一方的に話し続けている。
私は、ベッドに横になって適当に相槌を打っている。
「……でね最近、ゆえから臭うのよ。ラブ臭が」
早乙女の話題が、宮崎のどかから綾瀬夕映のことへと変わっている。二人とも3−Aのクラスメイトだ。早乙女と一緒にいるのをよく見かける。
話に出た「ラブ臭」なる、聞き慣れない単語はこいつの造語だと思うが、要は「人の恋愛感情の気配」というヤツだろう。これは私見だが、こいつは「ラブ臭」というものを嗅覚ではなく、頭のてっぺんから生えている触覚で感じ取っているのではなかろうか。
「私としては、やっぱりネギ君が怪しいと思うのよ」
綾瀬の相手か、まあそうだろうな。
身近な異性といえば、あのガキくらいなもんだ。
他は、オッサンか同性しかいない。
あのガキ以外が相手だったら、いろんな意味で問題だ。
ネギ君というのは私たち3−Aの担任で、わずか十歳の子供先生である。
始めこそ、子供ということもありクラスメイトにおもちゃにされていた節があるが、最近では授業内容もしっかりしてきて、先生としてがんばっている。
常に前向きのその姿勢と性格は、一部クラスメイトの間に本気で惚れているヤツもいるくらいだ。
まあ、その前向きなところは認めてやってもいいかな。
「ム! 臭うわ!」
メガネを光らせ、突然早乙女が立ち上がる。
「な!」
もしかして、ラブ臭?
まさか、私のか?
「生臭いわね、何のにおい?」
早乙女はこちらを意に関せず、鼻をヒクヒクいわせて台所へと向かっていった。
「ふー、なんだ。牡蠣の臭いか。驚かせやがって」
って、何をあせってるんだ私は?
そもそも私は、ラブ臭なんて発してねー!
「ねー、長谷川ー。これ牡蠣ー? どうしたのー、こんなにいっぱい」
台所からの声に、少し冷静になる。
私もベッドから降り台所へ向かい、ことのいきさつを説明した。
本当のことを全部話すわけにはいかなかったので、とりあえず懸賞で当てたということにしておいた。
私の説明に、早乙女は大仰にうなずいてみせる。
「へー、すごいじゃん。で、これどうするの?」
「いや、実を言うと持て余してるんだ」
「うん、さすがに一人じゃ食べきれる量じゃないもんね」
「一人で、バーベキューやるわけにもいかんし……」
おお。と、弾んだ声で両手を打つ早乙女。
「いいじゃんそれ、バーベキュー大会。みんなに声かければ、お肉とか野菜とかの他の食材なんかも揃うだろうし」
「な、おい、声をかけるって……」
「よーし、そうと決まれば善は急げよ!」
言うや否や、早乙女は部屋を飛び出しフロア中に響きそうな大声で叫び始めた。
「みんなー、長谷川がバーベキュー大会開くってよー! 食材持ち寄って、前庭に集合ー!」
部屋の中であっけにとられる私をよそに、話をどんどん進めていく早乙女。
ドアから、上半身だけ乗りだして部屋にいる私に声をかけてきた。
「長谷川も着替えて早くきなよ。待ってるからね」
そう言って、ドアを閉め自分の部屋へ帰っていってしまった。
小脇にオイスターを抱えて……。
「ったく、大勢で騒ぐのは好きじゃないんだけどなぁ」
ブツブツ文句をたれながら、制服を着替える。
バーベキューをやるなら、汚れてもいい服がいいだろう。
ゆったりめのグレーのヨットパーカーに、デニムのパンツ。いつもよりも気の抜けた部屋着に着替え中庭へと向かった。
中庭に着くと、すでに宴たけなわといった感じだった。
どこから持ってきたのか、炭火焼のバーベキューセットが三組。そこにそれぞれ五〜六人のクラスメイトが集まっている。ほかにも、思い思いの場所に座って食事を楽しんでいる連中もいた。
鉄板からは肉や野菜の焼ける音と香ばしいにおいが、煙とともにあたりに広まっていた。
そこに年頃の女の子の嬌声が混じり、場の盛り上がりに一役買っている。
「しかし、早乙女のヤツ……」
一声かけるだけで、これだけの人数を集めてしまうとは。
3−Aがお祭り好きの集まりだということを差し引いても、クセモノ揃いのクラスの半数以上に号令をかけられるの人物は、「いいんちょ」こと雪広あやかを別とすれば数少ない。
どうやらただのバカではないようだ。
認識を改める必要があるかな……。
とりあえず腹ごしらえをと思い一番近くの人だかりに近づくと、チアの三人組が声をかけてきた。
「あ、長谷川ー。待ってたよ」
「やっほー、千雨ちゃん。おさきー」
「こら桜子。おさきー、はないでしょ」
軽く相槌を打って、友人の無礼をたしなめる釘宮から真新しい紙のお皿を受け取る。
すると、珍しい人物から話しかけられた。
「長谷川さん、こんばんは」
四葉五月。
変わり者の多い3−Aクラスメイトの中でも、かなりまともな部類に入るヤツだ。
「今日は、こんな立派な牡蠣を振舞っていただいて、ありがとうございます。ちょうど焼けたところですから、長谷川さんも召し上がってください」
四葉がにっこり微笑んだ瞬間、私の目の前に、紙の取皿に載せられた牡蠣が突如姿を現した。
ザジ・レニーデイ。個人的にピエロと呼んでいるクラスメイトが無言で皿を突き出していた。
「あ、ありがとう」
皿を受け取ると、ピエロはグッと親指を立てそのままどこかへ行ってしまった。
「何なんだ……一体?」
程よく焼けた牡蠣以外の食材を適当に見繕い、人ごみを離れて木陰の石でできたベンチに腰を下ろした。
「しかし、こんな派手なバーベキューになるとは……。よく許可が下りたもんだな」
「それは、先生の僕が監督するという条件付きなんです」
私のつぶやきに答えながら、クラス担任のネギ先生がやってきた。
手には、自分の料理の乗った紙皿とウーロン茶のペットボトルが二本。
「はい、千雨さん。飲み物です」
「あ、どうも」
ネギ先生はウーロン茶を私に渡すと、さも当然のように私の隣に腰掛けた。
紺色と白の横縞のラガーシャツに、モスグリーンのハーフパンツを穿いている。
年頃の少年が着るような、ごく普通の普段着であるのだが、それでも理知的な雰囲気を発しているあたり、一応は先生ということだろうか。
「あれ? 千雨さん、どうしたんですか? 食べないんですか?」
きょとん、という擬音が聞こえそうな仕草で、私の顔を覗き込んでくる。
先ほどの「ラブ臭」の話題が、頭から抜けきっていなかったのか、柄にもなく取り乱してしまった。
心なしか、顔が熱い。
「ぅえ? ああ、いや。く、食ってるよ」
「そうですか? せっかくですから熱いうちにどうぞ、おいしいですよ」
イギリス人のくせに、箸を器用に使い料理を口へと運ぶ。
「先生はいいのかよ。向こうでみんなと、にぎやかにやってりゃいいじゃん」
ネギ先生を追い立てる気持ちで、そんなことを口にしてみた。
「え? けど、折角千雨さんが誘ってくださったんですから、少しお話したいと思って。パーティーのホステスに挨拶するようにって、言われたこともあるんですけど」
言われた……?
その言葉に少し引っかかりを覚えたが、ネギ先生がまくし立てるように話し始め、相槌を打つのに気持ちを移したためか、そのことが頭から抜けていってしまった。
その後、程よくテンションの高まった佐々木たちに引っ張られて行くまで、いろいろと話をしていた。主にしゃべっていたのはネギ先生だったが、それでもクラスの、いや学園の人気者を独占していたという事実は、私を不思議な満足状態へと変えていた。
「フッフッフ。ネギ君とのかたらいは楽しめたかなあ?」
ガサガサと音を立てながら、後ろの木陰から姿を現したのは目の色を変えた早乙女だった。
今まで、木の後ろに隠れていたのか?
やはりバカか?
「ま、私としては、ホントはのどかを応援しなくちゃいけないんだけど。今日は、いつものインターネットと牡蠣のお礼よ」
さっきまでネギ先生の座っていた場所へ腰掛けながら、早乙女が話し始めた。
「で、どうなの? ラブ臭みたいのは感じるんだけど、あんたの口からはっきりと聞きたいわ」
早乙女ハルナ。
ただのバカだと思っていたが、こいつはただモンじゃなさそうだ。
もしかしたら、部屋で話していたときにすでにこっちの気持ちなんて見透かされていたのかもしれないな……。
「……そんな、ラブなんてもんはねーよ」
「ありゃ、そりゃ残念。私はてっきり、ネギ君にラブだと思ったんだけどなあ」
意外にあっさりと引き下がったに見えたが、急に顔を近づけてきて――
「けど、こうかしら。ニュアンス的に、ラブじゃくて、ネギ君に恋スター? なんちって」
「……笑えないオチだな」
「うん、私もそう思う」
訂正。
やっぱりバカだ。
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