ハルナ≠メガネっ娘?


朝。
まだ、太陽が顔を出して間もない時間帯。
けど、窓の外はもう明るくて、小鳥のさえずりが聞こえるようなさわやかな朝だった。
起き抜けの体をほぐそうと伸びをする。

「ん〜、ん?」

なにやら、腰の辺りに違和感が。何かが腰にあたっている感じ。時折、ちくりとする。どうやら、変な寝返りの打ち方をしたようだった。
部屋の中を振り返ると、ルームメイトである宮崎のどかと綾瀬夕映、二人の寝息が不定期なリズムを刻んでいた。
昨夜の二人の貴重な睡眠時間と引き換えに、私の原稿は無事完成を見た。二人ともまだ泥のように眠っているが、私の方はというと、原稿が無事終わった開放感からか普段では考えられないような早い時間に目が覚めてしまっていた。
登校の時刻までまだ間があることだし、少し散歩でもしてこよう。そう考えて、二人を起こさないよう、そっと部屋のドアを開けた。



寮の近所を一回りして部屋に戻る。朝の空気を吸って、適度に体を動かしたおかげで私の頭と体は完全に覚醒していた。
ドアを開けると、中から食欲をそそる香りが漂ってくる。起き出した二人が朝食の準備をしているのだろう。
居間に足を踏み入れると、その想像通りの光景が目の前に広がっていた。テーブルの上にはトーストと目玉焼き。それと、各々の飲み物。そして、あわただしく動き回る二人のルームメイト。

ただ一つ私の想像と違っていたのは、二人がメガネをかけていたことだった。


「おはよー、ゆえ。のどか」
「あ、ハルナ。どこへ行っていたですか? 先に起きていたのなら、私たちを起こしてくれればいいものを」
「ゆえー。もうあまり時間ないよー」
「そうでした。ハルナ、ぼさっと突っ立てないで、さっさと朝食にするです」

少し機嫌の悪い夕映に促され、席へとつく。
しかし、何だろう? 妙に違和感がある。
いや、違和感云々よりも、何でメガネ?
二人は、さも当然のように。むしろ、今までずっとそうしてきましたとでも言う様な態度で、メガネを装備していた。
気になる。
ひっじょーに、気になる。
ダメだ。ここで聞かなければ、私のこのモヤモヤとした気持ちは晴れることがない。

「ねえ、ゆえ。聞いていいかな?」
「ハルナ。口を動かしている暇があったら口を動かすです」
「ハルナ。もう時間がないよ。急いで支度しなきゃ」

ナチュラルにテンパっている夕映の補足をするように、のどかは私に時計を示した。
あ、こりゃ本格的にやばいかも。
仕方ない。二人のメガネの件は、学校で落ち着いてから聞くとしよう。






一体全体、世界はどうなってしまったのだろう?
遅刻スレスレ、ボーダーラインギリギリ、何とか間に合う最後の電車に飛び乗ったまではよかった。
ただ、呼吸が整ってきて回りの様子を気にする余裕が生まれてくると、目が回る思いがした。これは、息が上がっていて脳に酸素が足りなくなっているためではない。現実と私の認識とにズレが生じてきたためだ。

てゆーか、何?
何でみんな、メガネかけてるの?

右を見てもメガネっ娘。
左を見てもメガネっ娘。
後を見ても……、あ、アスナたちだ。

「あ、おはよー、パル。それにみんなも」
「みんな、おはよーさん。今日は遅かったんやな。どないしたん?」

どうやらアスナたちもこの電車に乗っていたようだった。よくよく思い出せば、アスナもこのかもしばしば遅刻スレスレの時間帯に教室に駆け込んでくる。どうせ、アスナの寝起きが悪いのが原因だろう。
このかの方を見る。夕映がこのかに対して原稿を手伝わされて云々といった愚痴をこぼしているが、私の耳にはほとんど入ってこない。
軽いショックを受けていたためだ。
アスナもこのかも、例に漏れずメガネをかけていた。
そのことによるショックもあるが、アスナにメガネがこれほどまでに似合わないという事実を突きつけられたショックも同じくらい大きかった。
なんというか、理知的な感じが全然しない。

「ん? ちょっと、パル。何か失礼なこと考えてない?」

とんでもない。
しかし、アスナは勘がいい。
直感の鋭さは、クラス随一なのではないだろうか? 私や朝倉の上を行っている気がする。

「おはようございます。ハルナさん」

後ろから声をかけられる。
アスナとこのかがいれば、当然同じ部屋に住んでいる彼もいるわけで。

「おはよー、……ネギ……君……」

ネギ君、キミもか。
そう思ったのもつかの間、そうか、ネギ君はもとからメガネっ娘だったか。

「ハルナ。漢字間違えてるよ」
「ネギ君はこれでいいのよ」

ていうか、のどか。
勝手に人の心を読まないでちょうだい。






もう、開き直ってこの状況を楽しむことにした。
教室に入って席に着く。

「ん?」

今朝の腰の違和感がまだ取れていない。よっぽどひどい寝相でもしてたかな。
しかし、やはりと言うかなんと言うか、クラスメイト全員がメガネっ娘になっていた。
エヴァちゃんや茶々丸さん、刹那さんや龍宮さんまでメガネをかけている。ノリの悪そうな連中までこんな状況ということは、いよいよドッキリとかじゃないわね。
ていうか、エヴァちゃんのメガネっ娘姿にさほど違和感が無いのは何故だろう?






「ねー、ゆえ。何でみんなメガネをかけているのかな?」

昼休み。
昼食も食べ終わり、いつものように教室でだべっていたときのこと。ふとしたことから、今朝から始まった一連の不可解な出来事についての疑問が、思わず口をついて出ていた。

「何を言っているですか? ハルナ、メガネをかけるのは当然のことです」

ん?
夕映の言葉に怒気がはらんでいる。付き合いが長いから分かるのだが、夕映は字面だけで追えば普段からこんな話し方だ。
けど、何だろう? ものすごく怒っているように感じる。

「ゆ、ゆえ〜」

のどかも夕映のただならぬ様子に気がついたのか、心配そうに話しかける。
しかし、そんな二人のやり取りなんて瑣末なことだった。
次の夕映の一言が、私の背筋を震え上がらせ、総毛立たせた。



「そもそも、ハルナ。なぜあなたは、メガネをかけていないのですか?」



え?
あ、あれ?
そういえば、私、メガネかけてない……。

「そうよ、パル。なんでメガネかけてないの? ネギはいいとして、他の教科の先生、あんたのこと睨んでたわよ?」

近くで話を聞いていたアスナが話しかけてきた。
話はきちんと耳に届いている。けど、話の内容が頭の中にまで入ってこない。
いや、実際入ってきてはいるのだろうけど、きちんと理解できないでいた。

「あ、いたいた。ハルナさーん!」

頭の中を整理する暇も無く、今度はネギ君が教室に入ってくるなり、私に近寄ってくる。

「……あ、ネギ君。どうしたの……?」
「どうしたの、じゃありませんよ。どうして今日はメガネをかけていないんですか? 普段はともかく、教室の中ではメガネをかけてください。他の教科の先生方からも、注意を受けてしまいましたよ」

珍しくネギ君が怒っている。けど、私にはそんなネギ君の貴重な御姿を観察している余裕がなかった。頭の中に曇りガラスのようなフィルターがかかっていて、きちんと情報が入ってこない。
その上、矢継ぎ早になされる会話の内容は、私の脳みその処理速度を上回っていた。しかし、それでも理解できたことがある。
それは、どうやらこの世界、少なくとも学校の中ではメガネをかけていなくてはいけない、ということだった。
一体いつの間に、そんなおもしろおかしい、もとい、めちゃくちゃな校則ができたってのよ。

「ほんま、ハルナ、今日はどないしたん? あ、わかったえ。メガネ忘れてもうたんやろ?」
「そうかも〜。今日は遅刻しそうで、朝の時間どたばたしてたから」

このかが自分の予想を口にすると、その予想を裏づけするかのような説明をのどかが付け足した。
そんな会話が効いたのか、ネギ君の表情が少し和らいだ。

「そうだったんですか。そういう事情があったのならば、仕方ありません。僕のスペアをお貸ししますね。でも、今日だけですよ、今後は気をつけてください」
「あ、ゴメンね。ネギ君、ありがと」

これで、周囲から浮きっぱなしという状況は避けられるかな。
ここはひとつ、ネギ君の厚意に素直に感謝して、ネギ君のスペアメガネをありがたくお借りすることに……、って、ネギ君のメガネって鼻眼鏡じゃ……。

「はい、そうですよ。でも、ハルナさんだから特別に、僕のとっておきをお貸ししますね」

にっこりと微笑みながら、背広の内ポケットから取り出したのは、私もすごく見覚えのあるものだった。
そう、よくパーティーとかで見かける、簡易変装用装備。

「ひげつきはなめがね〜」

間延びしたどこかの未来的ネコ型ロボットみたいな口調で、仰々しくメガネを取り出すネギ君。
ていうか、何でネギ君そんなコト知ってるの?
教室の前の方で、桜子が頭を抱えてうずくまり小刻みに震えているが、とりあえず無視。
目下差し迫った危機を回避すべく、私は行動に出る。こんなところで、あんなメガネをかけさせられては私の沽券に関わる。
ここはほとぼりが冷めるまで、どこかで身を潜めるに限る。三十六計逃げるにしかず、というやつね。

「おっと、パル〜。どこに行こうっていうのかな〜?」

ところが、そんな私の動きを察知したのか、アスナが私を後ろから羽交い絞めにする。
もう、ほんとに勘がいいわね。

「あかんえ、ハルナ。せっかくネギ君がメガネを貸してくれるゆうてるんやから」
「ハルナ、ちゃんとメガネをかけなきゃダメだよ」

アスナだけならともかく、このかとのどかがそれぞれ左右から私の腕を押さえ込む。
二人とも、なぜか楽しそうだ。

「コラー、は、離しなさい。私はまだこんなところで……。ゆえー! 助けてー!!」

私は夕映に助けを求めた。このメンツの中で常識を保っていそうな我がルームメイト。あんただけが頼りなのよ!

「さ、ハルナ。往生際が悪いですよ。任せてください、カメラの用意はきちんとできています」

裏切り者〜!!
夕映はこともあろうか、朝倉からデジカメを借り受け、シャッターチャンスを待ち構えている。

「さあ、ハルナさん。僕に、あなたのあられもない姿を見せてください……。僕は、ハルナさんがこのメガネをかけた姿を、この網膜に焼き付けておきたいんです。さあ……」

ネギ君は、その両手で私の頬にかかる髪をそっとかき上げる。
ネギ君の顔つきがものすごくりりしい。
歯の浮くような台詞も伴って、私の神経を刺激する。
ヤバイ、惚れそうだ……。
って、ちがーう! そんな場合じゃなーい!!

「い……」






「いやぁぁぁぁっ!!」

………………。
…………?
あれ?

「ここ、どこ?」

誰に問いかけるわけでもなく私の口から出た言葉は、その答えが帰ってくること無く、そのまま空気中に掻き消えていった。
周囲を見回すと、見覚えのある光景が目に飛び込んでくる。その一つ一つを確認するうち、私の心は落ち着きを取り戻していった。
ここは寮の私の部屋だ。
ただ一つ、いつもと違うところがあるとすれば、私のすぐ脇にベッドがあること。つまり私は、いつの間にかベッドから転げ落ちていたようだった。

「夢オチ? ……我ながら、なんつー夢を」

今まで広げていた大風呂敷を乱雑に畳んだのは「夢オチ」という名のジョーカーだったこと。加えて、その夢の内容があまりにもくだらなすぎたことに、軽い自己嫌悪を覚えつつ立ち上がろうとした。

「あたた。ん? あれ?」

腰に違和感があった。
そういえば、夢の中でもずっと感じていたけど……。

「……あっちゃー」

体を起こして確認する。
私の腰に轢かれていたのは、私のメガネ。
無残にも、フレームが派手に曲がっていた。
レンズが無事なのは不幸中の幸いか……。






「ふ〜ん、だから今日は、パル、メガネをかけてなかったのね」
「うう、我ながら情けない……」

昼休み。
教室でお弁当をつつきながら、私の一連のメガネ騒動について、アスナをはじめとした連中で話をしていた。
正に夢に登場した人物揃い踏みであったが、当然あんな恥ずかしい内容の夢を語って聞かせることはしなかった。
しかし、みんなの好奇の視線にさらされることが、これほど居心地の悪いものだとは思わなかった。
そんなに、私がメガネをかけていないのが珍しいのかね。

「しかし、ハルナ。スペアのメガネはどうしたのです? 修学旅行のときも、替えのメガネを持っていっていたではありませんか」

……あ。
言われて、今気づいた。
もう、ゆえ。何でもっと早く言ってくれなかったのよ。
確かに、スペアのメガネなら他にあったのに。

「あ、いたいた。ハルナさーん!」

ネギ君が教室に入ってきて、私を呼ぶ。
上機嫌な様子のネギ君が寄ってくるのを待って、ネギ君に返事をした。

「どうしたの、ネギ君?」
「はい。今日は、ハルナさんがメガネを忘れたということなので――」

――ドクン。

心臓のはねる音が、確かに聞こえた。
ネギ君は、満面の笑みを浮かべている。

「――お困りだろうと思って、僕のスペアを――」

――ドクン。

まずい。
何がまずいって、これは、もしかしたら――。



次の瞬間。
後ろから羽交い絞めにされる感触と、ネギ君が背広の内ポケットから取り出した「モノ」を認識して、私は意識を失った――。




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