明日菜のクッキング協奏曲


ある日曜の昼過ぎ。
真帆良学園女子学生寮、643号室を訪れる一人の少女がいた。

「ヤッホー、アスナいる?」

ノックをし、返事を待たずに部屋に足を踏み入れた彼女は、柿崎美砂。
643号室の住人である、神楽坂明日菜に用事があるようだった。

「前に話してたCD貸しに来たよー。今朝、ようやく亜子から返ってきたからさ――って、あれ?」

その明日菜はと言えば、なにやらキッチンにこもっている。隣には木乃香の姿もあった。
よほど作業に集中しているらしく、明日菜は美砂が訪ねてきたことに気がついていない。
美砂の立場は、先ほど明日菜に投げかけた彼女自身の言葉とともに、受ける相手のない、宙に投げ出された状態になってしまった。

「柿崎さん、こんにちは。ごめんなさい。アスナさんは今、取り込み中でして、しばらくそこで待っていていただけますか?」

所在の無くなっていた美砂の出迎えに出たのは、ネギだった。ネギは、美砂にリビングのテーブルを指し示し着席を促す。
ネギにお礼を言って、テーブルに着こうとする美砂だったが、そこには先客がいた。

「あれ? 桜咲さんじゃん、どうしたの?」

先客である刹那は、そこに姿勢正しく正座をしていた。
美砂の呼びかけに軽く頭を下げて答えてから、口を開く。

「はい。私は、お嬢様とアスナさんに招待を受けまして。なんでも、アスナさんの料理の試食だとか……」

心なしか、刹那の表情が硬い。
刹那の言うお嬢様こと木乃香の料理であれば、きっと刹那は地の果てからも、喜び勇んで駆けつけるであろう。
だがしかし、今日は明日菜の料理である。
バカレンジャー、おサル、がさつ、オヤジ趣味、パイ○゜ン、バカ力…………。
おおよそ、おしとやかな女の子とは無縁の二つ名ばかり。
そんなあだ名を数多く持つ明日菜が作る料理である。
たとえ今、木乃香がその手伝いとして明日菜とともに厨房に立っていたとしも、どんな料理が出てくるかは、未知数のままだった。

「……あれ? もしかして、私、ものすごく悪いタイミングで来ちゃったかな?」

普通に考えて、料理が完成したとき、たとえ招待していなかったとしても、そこにクラスメイトがいれば料理を振舞うのが当然の流れであろう。
美砂としても、料理を口にせずこの場を辞するのは、非常識であり明日菜に対して失礼である。
ならば、明日菜の気付いていない今のうちに、脱出を図るのがいい。
美砂は、そう結論付け、行動を起こした。

「あ。そういえば私、用事が――」
「どうぞ! お茶です!」

ネギがお茶を差し出す。
イギリス人少年が、緑茶を供するという一見シュールな光景が繰り広げられるが、当の本人たちは気が気ではない。
行動を読まれ機先を制せられた美砂は、信じられないと言った表情でネギを見る。
その瞳には、普段のネギからは考えられない、黒く濁ったものが見えた。

「あ、ありがとう。ネギ君……」
「どうぞ、ごゆっくりしていってください」

二人の表情はにこやかだったが、果たしてその腹の中でうごめいているのは、どれだけどす黒い考えだろうか。
ネギはそのまま空いている場所に座る。どうやら、美砂を逃がすまいとしている様子である。

「そうです、せっかく来たんですから、ゆっくりしていきましょう。それに、私も柿崎さんとは一度、じっくりと話がしたいと思っていたところでした」

ネギと刹那、二人の考えはここに来て一致していた。
道連れは、一人でも多いほうがいい。
そんな想いがあって、刹那も美砂に対し心にも無いことを、いけしゃあしゃあと口にしていた。

――はめられた。
――ネギ君、こんなに腹黒い性格してたっけ?
――それに、桜咲さん。
――いままで、何も接点が無かったのに、一体何を話すつもりなのよ?

未だかつてない速度で脳みそがフル回転しているのを、美砂は感じていた。
間近に迫る危機に巻き込んでくれた、眼前の二人に対する不満が憤りとなって頭の中を支配する。
だが、それと同時にわずかな希望にすがることも忘れていなかった。
今キッチンには、明日菜とともに木乃香が一緒にいるのだ。
木乃香の持つ料理のレベルは、一般的な女子生徒の平均値のはるかに上を行く。
美砂自身、木乃香の料理を口にする機会は無かったが、その料理の腕の確かさは話には聞いていた。

「みんなー、できたわよー――って、柿崎じゃない? どうしたの?」
「は、はは…………おじゃましてます」

顔を引きつらせながら無理に笑顔を作る美砂だったが、幸いなことに明日菜はそれに気付くことなく、たった今出来上がったばかりの料理をテーブルに置いた。
深めの皿に盛られたその料理は、肉じゃがだった。テーブルについていた三人は、まずじっくりと料理を観察する。
見た目は特に変わったところは無い。漂う香りも嗅覚を程よく刺激する非常に良いものだった。いたって普通の肉じゃがである。
曇天だった美砂の心のなかに、一筋の光明が差す。
これは、木乃香の作に違いない。
夏休みの宿題を親に手伝ってもらった小学生の作品が、無駄に高いクオリティを誇っている。それと同じ状況が、目の前の肉じゃがにおこっている。
刹那とネギの表情からも、硬さが取れ安堵感が広がっているのが見て取れた。

「どう? 私が本気を出せば、肉じゃがの一つや二つお茶の子さいさいよ。せっかくだから、柿崎も食べてって」

誇らしげに言いながら、明日菜は人数分の割り箸を配る。
手元には、割り箸。テーブルの上には、肉じゃが。
今すぐにでも、料理に手をつけられる状態である。
だがしかし、動こうとする者はいなかった。
明日菜が作ったものであるという事実がある以上、この肉じゃがが危険である可能性がわずかでも残っていたからだ。
三人は、互いに視線を交差させる。その視線は、人を射殺さんとするほど鋭いものだった。
しばらく、こう着状態が続く。

「? どうしたの、おなかがいっぱいで食べられないとか?」

美砂たちが箸を動かさないことに疑問を感じた明日菜が問いかけるが、答えようとするものはいない。
少しでも隙を見せれば、そこを相手につけ込まれるかもしれないからだ。

「アスナ、きっとみんな遠慮しとるんよ。まず、ウチが味見してみるな」

言うな否や、木乃香は割り箸を使いジャガイモをひとつほおばった。
刹那が制する間もなく木乃香はアスナの作った料理を口にしてしまった。
美砂を始めとした三人は、固唾を呑んで木乃香の反応を見守る。

「うんうん……ん? んー……ん〜?」

木乃香は泡を吹いてぶっ倒れることもなく、しきりに首をかしげている。
どうやらこの料理、殺傷能力とか破壊力などといった物騒な方向へベクトルは働いていないようだった。

「どうしたの、木乃香? もしかして、美味しくなかった?」

不安げにたずねる明日菜に、木乃香は心配させまいと答える。

「ううん、そんなことあらへんよ。しっかり、中まで火が通ってるし、煮崩れもしとらん。……けどな」

もう一口。今度はお肉を口に運ぶ。
咀嚼、じっくり味を確かめるように、咀嚼。

「ん〜、わからへん。おいしくないわけやあらへんのやけど、ん〜、なんて言うたらええんやろ?」

どうやら、味をどう表現したらいいか、言葉を選びあぐねているようだった。
そんな木乃香の様子を見て意を決したのか、刹那が料理に箸を伸ばした。

「それでは、私も。…………いただだきます!」

ただ肉じゃがを食べるだけだが、必要以上に気合のこもった挙動でジャガイモを口に入れた。

「むぐむぐ……。?」

無言で首をかしげる刹那を見て、美砂も決意をした。
明日菜の作った料理に対する恐怖心よりも、表現不能の味に対する好奇心が勝ったためだ。

「……よし、じゃあ私も……南無三!」

おおよそ料理を作った人間に対して失礼極まりない単語であったが、その作った人間である明日菜が幸いにもバカであったため、美砂が気合とともに放った単語は不問とされたようだった。

――なんだろう? この、心の奥底に響くような味は?
――それに、舌が味を求めてうっとりしている感じ。
――いつまでも続く、味わいの余韻。

「?」

どう言葉に表せば良いのか、いつのまにか美砂も首をかしげていた。
最後に残ったネギと作った本人である明日菜も試食をしてみたが、二人とも得体の知れない味に、ただ首をかしげるばかりだった。



「わかったえ!『こぶし』がきいとるんや」

突如、声を上げる木乃香。
普段の木乃香からは考えられない大音声であるが、それだけ肉じゃがの味を表現する言葉を探すのに心を砕いていた証拠である。

こぶし。
演歌などによく見られる、うねるような発声法である。

「え? ちょっと、このか。私、そんなダシ使ってないわよ。化学調味料を使ってたの、このかも見てたじゃない」

どうやら明日菜は、「こぶし」のことをかつおぶしの親戚か何かと勘違いをしているようである。
一人眉根をひそめる明日菜に対し、残りの三人は大いに納得しうなずき、それぞれの反応を見せていた。

「言われてみれば、なるほど。たしかに『こぶし』がきいている。そう表現するしかない味ですね……」
「信じらんない。まさか、歌じゃなくて料理で、しかも肉じゃがで『こぶし』をきかせてくるなんて……」
「『こぶし』って演歌のことですよね? すごいです! アスナさん。これが、日本の味なんですね!?」

ネギの反応は、やや日本を曲解したものだった。
だが、「演歌」という単語が出たためか、明日菜はようやく「こぶし」の正体に気がついたようだった。

「何よそれ? なんで私の料理が演歌になっちゃうのよ。納得できなーい」

腹を立て不満を爆発させる明日菜であったが、その怒りは不完全燃焼の様相を呈している。
おそらく、自身も肉じゃがの味を確かめているため、心の奥底のどこかで納得していることに気がついているためであろう。
しかしだからといって、

「あなたの料理は、演歌の味がします」

と言われて、喜ぶ女の子はそうそういない。
料理が完全に失敗作であれば、明日菜もきっぱりとあきらめて次をがんばることが出来ただろう。
だが、味の評価が変なところへ着地してしまったばかりに、明日菜以外の面々はどう声をかけていいか分からなくなっていた。
加えて、明日菜自身も料理の味を嫌々ながらも認めざるを得ない状況になってしまったことで、不満のはけ口が無くぶすっとむくれるしかないのであった。

「よし! ちょっと、行ってくる!」

唐突に美砂が切り出す。
気まずい空気が支配していた643号室のリビングであったが、この現状を打開するべく美砂が何かを決意したようだった。
他のみんなが質問をする前に、美砂が何をしようとしているのか確かめる前に。
美砂は片手に肉じゃが、片手に真新しい割り箸を持って部屋を飛び出していってしまった。

「柿崎、何をするつもりなんやろ?」

この部屋にいる誰もが木乃香と同じ疑問を持っていたため、誰もその疑問に答えることが出来なかった。



「ただいま!」

そろそろおやつどきという時間。
ちょうど小腹の空いてきたころあいに、美砂は出かけたときと同じく唐突に戻ってきた。
部屋に残されていた四人は、特にすることもなくなってしまったためそれぞれ思い思いに時間をすごしていたが、今はまた先ほどのようにテーブルについて、お茶の用意をしていた。

「ちょっと、柿崎。いきなり出て行ったと思ったら、一体なんなのよ? って、あれ? 私の肉じゃがは?」

突然だった美砂の行動の目的は、明日菜にとって一時間以上前の疑問であったが、美砂の顔を見たとたんに鮮明によみがえってきた。と同時に、新たな疑問も生まれる。
肉じゃがの行方である。なぜなら、美砂の手には空になったお皿しかなかったからだ。

「まあまあ、落ち着きなさいって。今から、ちゃんと説明するから」

質問をする明日菜を抑えながら、何事も無かったかのように席に着く美砂。
そして、みんなにも見えるようにテーブルの中央にお皿を置いた。

「私が行っていたのは、クラスのみんなのところ。それでみんなに味見をしてもらって、率直な感想を聞いてきたの」

テーブルを囲む四人の顔を見ながら、美砂は説明を始める。
美砂が訪ねていったのは、彼女が所属する3−Aのクラスメイト達だった。
643号室にいる、明日菜、木乃香、刹那を除く二十八人に試食をしてもらい、得られた二十六人分の回答。
それが、美砂の持ち帰った答えだった。

「その結果、回答をくれた二十六人全員から『こぶし』がきいている。っていう感想がもらえたわ」

美砂の話を聞いて、表情を曇らせる明日菜だったがあることに気がつく。

「……残りの二人は? その二人はなんて言ってたの?」
「アスナ。その二人って、さよちゃんと茶々丸さんのことやないかな」
「あ……」

アスナの疑問に答えたのは、隣に座る木乃香だった。
幽霊のさよ、ロボットの茶々丸。
この二人に、料理の味についての感想を求めることは出来なかったというのが事実だった。

「私の料理って、一体なんなのかしら……?」
「ほら、アスナ。話はまだ終りじゃないわよ」

次第に落ち込み始める明日菜を元気づけたのは、落ち込む原因を持ってきた本人、美砂だった。
話には続きがあり、美砂は再び順を追って説明を始める。
クラスメイトの中で一番興味深い回答くれたのは、四葉五月だった。美砂や明日菜のクラスメイト、超鈴音の経営する人気屋台中華料理店「超包子」で腕を振るう料理人で、オーナー超とともに学園全体にその名が知られている。

その五月曰く、

「初めて食べた味です。この『こぶし』は私にも再現できるかどうかわかりません、ですがこれはきっと流行ると思います」

とのこと。

「で、さっちゃんが言うには、新しいメニューに『こぶし』を使わせてもらえないかって。すごいじゃない、アスナ。クラス一、ううん、真帆良一の料理人に認められたのよ、あなたの『こぶし』が!」

興奮し、力説する美砂。
明日菜の料理が五月に評価を受けたことを、我が事のように喜ぶ木乃香とネギ。
素直に感心する刹那。
だが、明日菜の表情は変わらない。

「だれも、『おいしい』って、言ってくれないのね……」
「あ」

冷めた明日菜の一言が、にわかに熱気を帯びだした部屋を冷ましていったのだった。






後日談。
明日菜の困惑をよそに、五月は苦心の末「『こぶし』肉まん」を完成させる。
「和」と「中」の融合。
売り出した際のコンセプトが見事当たり、一躍「超包子」のヒット商品となった。
これを機に、3−Aだけではなく、真帆良全体に「こぶし」ブームが広がっていったのだった。



「ねえ、ねえ。美砂。今度の新曲、サビの部分で『こぶし』をきかせてみようかと思うんだけど――」
「桜子。それだけは、やめておきなさい」




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