家路を急いでいた足を止め、顔を上げる。だいぶ日が西に傾いてきた。
あとしばらくもすると、夜の時間帯へと移っていく。
女子寮の前には、日曜日の今日を思い思いに過ごした生徒たちが三々五々戻ってきており、にわかながら賑やかさがあった。
かく言う私、桜咲刹那も、そんな生徒の一人だった。
自分で言うのもなんだが、今日は久々に部活動に参加をしていた。
部活動で火照った体を、体育館に併設されているシャワールームで汗を流すことによって冷まし、寮へと戻ってきた。
初夏の日差しを十二分に浴びた地面からは、日中に溜め込んだ太陽からの熱エネルギーがじわじわと放出されていた。
しかし、やわらかく吹き抜ける風が程よく涼しく、まだ乾ききっていない髪をゆっくりと撫でていくことにより、夕涼みの心地よさを味わうことが出来た。

「お姉ちゃん」

そう、唐突に声をかけられた。最初、この言葉が自分にかけられたものだとは思わなかった。
「お姉ちゃん」という呼びかけを何種類かに分けることが出来る。
まず一つ。妹ないし弟が実の姉に対し呼びかけるもの。
そして二つ。ごく親しい間柄の年上の女性に対し呼びかけるもの。
最後に三つ。女性を遊びに誘う不埒な男のもの。
私には兄弟も姉妹もいない。ゆえに一つ目の範疇に当てはまる人間がいないことになる。
また、ここは麻帆良学園女子中学生寮の建物の前である。見渡す限り同じ年代の少女たちしか居らず、よって二つ目と三つ目に該当する人間もいない。

「お姉ちゃんってば」

だから私は、こうやって呼びかけられても、すぐに反応をすることが出来なかった。

「もう。刹那お姉ちゃん!」

自分の名前を呼ばれ、ここでようやく自分が呼ばれていたことに気がついた。
だが、と思う。
先程も思いをめぐらせていたとおり、自分には妹や弟などはいない。ごく近しい年下の友人もいない。
一体、誰だろうか? 私を「姉」と呼ぶのは?
意を決し、振り向く。
するとそこには、私が立っていた。
いや、正確に言うのであれば、私にそっくりな女の子がそこにいた。
生き写しという言葉がふさわしいだろう。まるで鏡に映したかのように、背丈、体つき、顔つき、そして学校へ行っていたため制服を着ていたのだが、その服装を含めた全てが同じであった。
ただ一つ。髪を結っている方向が逆だったが、だからこそ鏡のようでもあった。

「はじめまして、刹那お姉ちゃん。私、双子の妹の『久遠』っていいます」

双子。
この単語から真っ先に連想されるものといえば、クラスメイトの鳴滝姉妹だった。
だが、この「双子」という単語は、目の前の私にそっくりな少女の口からつむがれたもので、つまり――

「今日は一日、お姉ちゃんの暮らしている、この麻帆良学園都市内を見物してました。近衛門様や詠春さまのおっしゃるとおり、素敵なところですね」

私の混乱をよそに、少女、久遠は話を続けた。
どうやら、学園長や長とも知り合いのようだ。
これは、いよいよ真実なのかもしれない。

「ホントなら、お姉ちゃんのところにお泊りしていきたかったんですけど、今回はちょっと用事があって帰らなくちゃならないんです。残念です」

ダメだ。
認めたくない。
今、私の目の前にいる、私と瓜二つの少女を、双子の妹だとは認めたくない。
なぜなら、しぐさが自分に似ても似つかないからだ。
はじめまして。で、ひざに両手をつきぺこりとお辞儀。
会話をしている最中、両手は常に軽く握りこぶしを作り胸に当てている。
そして、がっくり肩を落とし、残念。と。
その一つ一つの動作が、あまりにも女の子女の子している。
むしろ、私と同じ顔でそんなことをしてほしくなかった。

「それじゃ、お姉ちゃん。また来ますね。ばいばーい」

ひとりでしゃべるだけしゃべって、勝手に去って行ってしまった。
この間、私は一言も言葉を発しなかった。
狐に摘まれた、とでも言えばいいのか、いやむしろ、そのときの私は豆鉄砲を食らった鳩のような表情をしていたのかも知れない。

「あ、ちょうちょ。まてー」

あ、そちらは、駅の方向じゃない。
……行ってしまった。

「彼女は一体なんだったんだろう? 本当に、私の双子の、……妹?」

頬をつねりながら、思っていた疑問を口にしてみた。
しかし、そんなことをしたところで、このもやもやとした疑問に対する回答が得られるわけでもない。
溜息を一つついて、部屋に戻ろうと思い直したところで、別の誰かに呼び止められた。

「刹那さん。今戻り?」
「こ、こんにちは。刹那さん」

顔を上げると、そこにはアスナさんとネギ先生の姿があった。
先程の、自称「双子の妹」久遠の時と違い、現実感がある。まだ少し痛みの残る頬をさすりながら、二人の様子をうかがうと、いつもと違うことに気がついた。
ネギ先生が何かを警戒しているのか、明日菜さんの影に隠れてこちらの様子を注意深く観察している。明日菜さんも、どことなく表情が硬い。

「お二人とも、どうされたんですか? 何か、ありましたか?」

私の問いかけに対し、二人はお互い顔を見合わせたあと、答えを返してくれた。

「何って、刹那さん覚えてないの? まるで、いいんちょやまきちゃんみたいだったわよ。今日の刹那さん」
「その、過剰なコミュニケーションというのは、慣れているつもりだったんですが、刹那さんが相手だと…………、は、恥ずかしいです……」

急に顔を赤らめるネギ先生。
そんな表情をされると、こちらまで無性に恥ずかしくなってきてしまう。
しかし、まだ状況がつかめなかったので、アスナさんに詳しく聞いてみた。

「どうしちゃったの? 刹那さん。急にネギに抱きついたりしてたじゃない。あ、分かった。この暑さで、意識が朦朧としちゃってた?」

完全に状況を把握したわけではなかったが、明日菜さんの導き出したかりそめの答えに、あいまいに同意をしておいた。
このままずるずると話し込むよりも、その方が良いと判断したからだ。
しかし、一体何だったんだろう? 今のは……。

「あー! 桜咲さんだー! やっほー!」

アスナさんとネギ先生が寮の中へ入っていくのを見送って、少し状況の整理をしようとした矢先、再び声をかけられた。
声のした方向へ振り向くと、十メーターほど先からクラスメイトの椎名さんたちがこちらに歩いてきていた。
柿崎さんと釘宮さんを連れ立つ形で二人の前を歩いていた椎名さんは、手を大きく振りながら上機嫌な様子で小走りに近づいてきた。

「あはは。今日は楽しかったね、桜咲さん。また一緒に、カラオケいこーねー」

は? カラオケ?
しかも、また一緒に?
一体全体どういうことだ?
恥ずかしながら、私はカラオケには一度しか行ったことがない。しかも、ついこの間、お嬢様やアスナさんたちと一緒にだ。
正直私は、あの狭い空間が苦手だ。最近の流行歌など知らないし、タバコの臭いも気になる。
そんな私が、カラオケ?

「けど驚いたな。桜咲さん、あんなに歌が上手かったなんて」
「ねえ、桜咲さん! でこぴんロケットの新メンバーにならない?」

後から遅れてきた二人にカラオケについて詳しく聴こうとしたが、その二人からやや興奮気味にまくし立てられた。
特に、柿崎さんからは熱心にバンドのメンバーに誘われたが、身に覚えのない出来事だったこともあり、丁重にお断りした。
三人を見送って、ひとり考えを巡らせる。

「私は、今日一日。ずっと学校にいたはずだ。けれど、ネギ先生やアスナさん。それに、柿崎さんたちと会っていたことになっている」

学校にいた間はずっと部活動に参加していたので、クラスメイトとは会っていない。
にもかかわらず、私のあずかり知らないところで、私に会っていたという人たちがいる。
これは、一体?

「師匠!」

自分が呼ばれたという確証はない。
しかし、今までの流れからいって、どうも自分が呼びかけられた気がしてならない。
振り返ると、そこには早乙女さんがいた。

「あの? 早乙女さん。その……。師匠とは、どういうことでしょう?」

早乙女さんは麻帆良祭を前後に、いわゆる「こちら側」に足を踏み入れたクラスメイトだ。
麻帆良祭の二日目に魔法の存在を知るにいたり、ネギ先生との「仮契約」を行い、アーティファクトを手に入れた。
彼女のアーティファクトは、彼女自身の能力とあいまって非常に強力なものだ。そのアーティファクトがあって、戦力として十分に活躍をしている。
そのため、アスナさんのように私と剣の修行をするわけでも、ネギ先生のように古菲に中国拳法を習っているわけでもなかった。
私も早乙女さんに剣術の手ほどきをした覚えもなく、つまり「師匠」と呼ばれる覚えがなかった。

「正直感動いたしました! 刹那さんの、その知識量にはまったく敵う気がしません。その造詣の深さ、見習わせていただきます!」

こちらに対しお辞儀をした格好のまま、早乙女さんは普段使わないような口調でまくし立てた。

私が詳しい?
一体、何に対して?

その答えを求めるべく視線を漂わせると、遅れて近づいてきたのか綾瀬さんとのどかさんの姿が私の目に留まった。
ところが、なぜか二人の表情は微妙に硬かった。気のせいか、私を見る視線に冷ややかなものが混じっている。

「師匠を必ず超えて見せます! 夏の新刊を期待していてください!」

超えるも何も、何に対しての発言なのかがさっぱり分からなかった。
決意を新たにしたらしい早乙女さんは、その瞳に炎を宿して晴れ晴れとした表情で部屋へと戻っていった。
早乙女さんに続く二人は、とうとう一言も発せずに同じく部屋へと帰っていった。

「そういえば、夏の新刊というのは一体何のことだろう? いや、そんなことはどうでもいい」

早乙女さんたちも、どうやら私と会っていたようだ。
いや、正確に言えば、「私と会っていた」と思っているようだ。
ここまでくれば、いくら何でも事の次第が掴めてくる。
つまり、ネギ先生やアスナさんたちを始めとしたクラスメイトの皆は、私の双子の妹「久遠」に会った。
しかし、あまりにも姿形が似かよっていたため、「久遠」を私だと誤認してしまったのだろう。
これは、久遠を捕まえて事の真相を問いたださねばなるまい。
おそらく、まだそこら辺をうろちょろしている。
というか、いまどき「ちょうちょ」というのも……。

「おい! 桜咲! あんた、今まで本性を隠していたな!」

息を切らしながら、こちらをねめつける長谷川さんがいた。
走ってきたのか汗をかいており、頬に前髪が張り付いている。

「これを見ろ! 一体これは何なんだ!?」

手にしていたノートパソコンを開き、画面をこちらに見せる。
どこかのホームページだろうか。しかしそこには、あろうことか私の写真が載っていた。
しかも、ふりふりのたくさんついた可愛らしいドレスに身を包み、ポーズまでとっている。
そう、ちょうどエヴァンジェリンさんが着るような、いかにも女の子っぽい服装だ。

「『くおんのぺーじ』だと!? 桜咲、髪を下ろして化粧をしているが私は騙されないぞ! これは、明らかにあんただろ!」

眩暈がした。
長谷川さんが、まだ私に対し文句のようなことを言っているが、すでに耳に入ってこないし、もうどうでもいい。
今一度、パソコンの画面に表示されている写真に目を向ける。
一度は私の写真と認識はしたが、これは、私ではない。
久遠のものだろう。
しかし、だ。
久遠のことを知らない長谷川さんからすれば、やはりこれは私として認識されるのだろう。
こんな写真を、お嬢様に見られでもしたら……。

「あー、いた! 桜咲さん! ぜひ、うちの演劇部に! 修学旅行のときから、目をつけたたんだよー!」
「いやいや、桜咲さんは我がバスケ部がいただくよ! この機を逃すと、バスケ部に未来はないからね!」

長谷川さん以外にも、クラスメイトたちが集まってきたようだった。
だが、もうどうでもいい。
ここから離れて、いち早く久遠を捕まえなければ。
さもないと、最悪の事態が訪れる。その前に!

「――――――?」

一瞬、辺りが静寂に包まれた。
私を中心に出来上がっていた人だかりの一角が、突如割れて道を作る。
そのクラスメイトたちの先に、お嬢様の姿があった。

――白無垢を着て――。

この場に至極不釣合いな格好だった。
夏休みを間近に控えた日曜日の女子学生寮前である。
いくら浮ついた気持ちの生徒が多いからといって、白無垢はやりすぎと言わざるを得ない。

「せっちゃん」

私を直接名指しで呼びかけ、一歩前へ踏み出す。
そのお嬢様の動きに反応してか、私を取り巻いていたクラスメイトたちは、さらに道を広げる。
さながら、海を割る預言者のごとくこちらへ近づいてくるお嬢様の姿は、神々しくあった。

「せっちゃん。――――幸せにしてな」

沸きあがる歓声が遠くに聞きながら、私はその場で意識を失った。






「――――という夢を見たんだ」

目の前の龍宮真名というクラスメイトは、珍しく延々と長話をしたかと思うと、こう締めくくった。
女子学生寮の地下食堂で席を同じくし、食後のお茶なんぞを楽しんでいたまでは良かった。
ところが、デザートの餡蜜に舌鼓を打ち始め、そのおかげで舌が回るようになったのか、長々とこんな話を私に向けてしたのだった。

「勝手に自分の見た夢の話をするのは一向に構わん。だがな、なぜ私の視点で話が進むんだ?」
「そういう夢を見てしまったんだ。仕方なかろう?」

夢の内容に対し異議を唱えるも、不可抗力だとして却下された。
まあ、たしかに夢の内容は見る本人にも選べないから仕方ないか。
しかしだ、よりにもよってお嬢様の白無垢姿だと?
なおかつ、「――――幸せにしてな。と来たか!
許せん! 許せんと言うよりも、うらやましい!
うらやましすぎる!!」

「刹那。声に出ているぞ」
「っは!」

私としたことが、我を忘れて少し暴走してしまったようだ。
周囲の目が痛い。龍宮も白い目でこちらを見ていることだし、そろそろお暇した方がいいか。

「あれ? 刹那さんじゃない? もう食事は終わり?」

トレーを持って席を立とうとしたところで、早乙女さんが話しかけてきた。
早乙女さんの後ろには、綾瀬さんとのどかさんもいる。三人とも、料理の乗ったトレーを持っていた。どうやら、これから食事のようだ。

「ええ、ちょうど食後のお茶も済んだところです」
「そっか、じゃあご一緒するのはまた別の機会ね」

早乙女さんは、同じく席を立とうとしていた龍宮を私の肩越しに確認して、また今度ね、と声をかけてきた。
私と龍宮は、早乙女さんたち三人とちょうど席を入れ替わる形で食堂を後にしようとした。
そんな私たちの背中に、早乙女さんは思い出したかのように問いかけてきた。

「そういえばさ、刹那さん。今日は髪を結っている方向が逆だけど、なんかあった?」
「いえ、特に何も…………。そもそも、『私』は、ずっとこの髪型ですし…………」

直後、背後の龍宮が取り落としたトレーの音が食堂中に響き渡った。




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