円、ところにより、くぎみー 後編


千鶴を居間に通した円は、来客に紅茶を出すことにした。

「あら、かわいい猫ちゃんね。なんていう名前なの?」

円が台所でお湯を沸かしている時間、手持ち無沙汰になった千鶴が部屋を見回していた際に、二匹の猫を発見した。

「ああ、その子達? 桜子が飼ってる猫なんだけど、ベッドの上で寝てるのが『クッキ』。それと、ゴミ箱の陰に隠れてるのが『ビッケ』っていうの」

千鶴の問いかけに答えながら、円は内心ほっとしていた。何を話したらいいかと話題を探していた矢先、その話題が自分から目の前に現れてくれたようなものだった。
動物の話題は、ある程度共通の話題として通用する。特に相手が動物嫌いでない場合、よほど天気の話題などより高尚である。

「かわいらしい名前ね。桜子さんらしいわ」
「どちらかというと、かわいらしいよりおいしそう、だけどね」
「ますます、桜子さんらしいわね」
「はは、言えてる」

紅茶を淹れたティーカップをお盆に乗せ、千鶴のいるテーブルへ移動をする。お茶請けに先ほどスーパーで買ったお菓子も、皿にあけられお盆に乗せられていた。

きっかけさえつかめれば、あとは自然と話が弾んだ。
同じ学び舎、同じ教室で共に過ごす友人同士である。加えて、同年代の年頃の女の子同士でもあった。
無理に話題を探さなくても、話すことなどそれこそ夜空に瞬く星々のごとくあった。






「あ、もうこんな時間。そろそろ、夕食の準備をしないと」

ふと時計を目にした円がそう口にした。千鶴を部屋に通してから小一時間ほど時間がたっており、外の様子も夕闇の気配が濃くなっていた。

「あら、本当。でも私のほうは、下ごしらえを済ませてあるからまだ大丈夫そうね。せっかくの機会だから、円さんの仕事振りを拝見させてもらえるかしら?」
「………………え?」

千鶴の言葉を咀嚼し理解するまでしばらく時間がかかった。
千鶴との話題を探していた先ほどとは打って変わり、今ではほとんど打ち解けている。円自身、できうるならばもう少し千鶴とのおしゃべりを楽しんでいたかった。
だが、予定している夕食の献立は出来合いのものが中心の手早く作れる簡単なもので、あまり人に見せられるものではないと思っていた。
それゆえ、千鶴に辞去を促すような言葉を口にしたつもりだったが、千鶴は帰る素振りを見せなかった。

「そ、それじゃあ、ゆっくりしてって」

円は他にかける言葉が見つからず、千鶴をそのままにして台所へと向かった。

「さて、と。」
カーディガンの腕をまくりながら、改めて部屋の時計を確認する。あと三十分もせずに、美砂と桜子が帰ってくるだろう。
円は下ごしらえではなく、完成を目的として調理を開始した。

まずは、先ほどスーパーで買ってきたローストチキンを冷蔵庫から取り出し皿に移す。
そのまま電子レンジに入れ、あとは加熱をして添えつけの照り焼きソースをかけるだけ、これで一品目。
ヤカンに適量の水を入れ火にかけ、次の料理に取り掛かかった。
冷蔵庫の野菜入れから、これも先ほどスーパーで買ってきたミックス野菜を取り出す。
モヤシ、たまねぎ、にんじん、キクラゲなどの野菜が一袋にまとめて入れてあり値段も手ごろなため、円は頻繁にこの商品を購入していた。
フライパンに適量の油をボトルからそのまま入れる。フライパンを火にかけ加熱、程よく温まったらミックス野菜を袋から直接投入。塩コショウで味を調え、約一分四十秒炒め続ける。
その間、食器棚から盛り付けるための深みのある皿を取り出し、冷蔵庫から味付け用の調味料としてお好み焼き用のソースを取り出す。
これは以前桜子が冗談で買ってきた物だったが、野菜の炒め物と相性が良かったためこちらも頻繁に利用されていた。
火を消しソースを絡め、皿に盛り付け二品目が完了。
さらに、これまたスーパーで買ってきた出来合いのサラダをサラダボウルに移し、ドレッシングを冷蔵庫から取り出した。
ドレッシングは食べる直前にかけるため、これで三品目の完了である。
冷蔵庫からかなり大きめの容器に入った特用キムチパックを取り出し、完成した料理と一緒に居間のテーブルに運んだ。これで四品目。
お湯が沸騰したヤカンの火を止め、三人分の茶碗と木製のお椀を用意する。ご飯はすでに炊けていたが、茶碗によそうのは食べる直前なのでそのまま置いておく。
お椀には、インスタントのお吸い物の素をそれぞれ入れる。このお吸い物は、以前チアリーディングの大会の打ち上げで出された宅配寿司についていたものを、円が人知れず頂戴したものだった。
食べる直前にお湯を沸かしなおして、注ぐだけの状態にする。

一通り準備を終え、居間のテーブルに戻ってきた円を千鶴が迎えた。

「円さん、手馴れているのね。主婦みたいだったわ」
「え? あ、ありがとう」

予想しなかった千鶴からの言葉に、円はどう答えたらよいかわからず、あいまいな返事をした。

「でも、どちらかといえば年季の入った主婦といった感じかしらね。もう少し、手の込んだ料理を作ったらいいんじゃないかしら」
「う、なんだかんだ言って私が当番のときが多くなっちゃって、どうしても出来合いのものとかが多くなっちゃうのよね」

痛いところを突かれた円は言い訳をする。自分自身でも、もう少し料理の質を改善したいとは思っているのだが、どうしてもきっかけがつかめずにいた。
そういえば、と円は思う。
さきほど、自分の目の前にいる人物は、こう口にしなかっただろうか?

「―――でも私のほうは、下ごしらえを済ませてあるからまだ大丈夫そうね―――」

もしかすると、千鶴は自分などより料理の腕が上なのかもしれない。
そもそも、今テーブルの上に並べられているものを、料理として比べることすら憚られそうだが。

「那波さんのほうは? さっき下ごしらえがどうのって言ってたけど」
「私? そうね。よくよく考えてみると、私が作ることが多いわね。当番とかは決まってないけど、あやかも夏美ちゃんも、料理以外のことでちゃんと手伝ってくれるわね」
「…………」

千鶴の言葉を聞いて、自分の部屋のことを振り返る。
ルームメイトの美砂や桜子は、果たして料理の手伝いをしてくれていただろうか?
気が付けば、今日のように一人で部屋の仕事をしてはいなかっただろうか?
ふと、自分の机の上にあるペン立てが目に留まる。

「私って、みんなにいいように使われてるのかな……」

ぽろりと、愚痴にも似た言葉が思わずこぼれていた。

「円さん」

千鶴に名前を呼ばれ振り向くと、目が合った。

正直、怖いと思った。

ついさっきまで、その顔にたたえていた聖母のような微笑みは微塵もなくなっており、今はただ、厳しい表情だけをあらわにしていた。
しばしの沈黙の後、口元を緩めた千鶴が円に話しかけた。

「その言葉は、二度と口にしちゃだめよ」

それは、戒めるようであり、諭すようでもあった。
さらに千鶴は続けた。

「円さんがそういう風に思うのは、あなたがそれだけ頼られているってこと。みんなのお姉さん、というところかしら。お姉さんなら、みんなの仕事の分担もきちんとしないといけないわね」
「そうね。……ありがとう」

謝罪の言葉ではなく感謝の言葉が、自然に円の口から発せられていた。



お姉さん、か……。考えてもみなかった。
そういえば那波さん、保育園の手伝いをしているっていってたっけ。
さっきの、すごい迫力だったな。きっと良いお姉さんとしてやってるんだろうな……。






「洗濯物、わざわざ届けてくれて、ありがとね。今日は、楽しかった」

玄関口まで千鶴を送った円は、改めて礼を言った。

「いいえ、こちらこそ楽しかったわ。それに洗濯物も直接本人に渡すことができたし」



円は、千鶴の言葉に引っ掛かりを覚えた。
千鶴の届けてくれたアンスコは、チアリーダー以外にも運動部系の部活に所属している人間の持ち物の可能性がある。
仮にチアリーダーのものだとわかったとしても、円以外のルームメイト、美砂や桜子のものだという選択肢もあったはずである。
先ほど確かめたが、千鶴が届けてくれたアンスコは自分のものに違いなかった。
なぜ、千鶴はアンスコの持ち主を特定することができたのだろうか。

「そういえば、あれ。どうして私の洗濯物だってわかったの?」

気になった円は、率直に千鶴に尋ねてみた。

「ふふ。普段、私の手伝っている保育園の子供たちにも見習わせたいものね。自分の持ち物に、きちんと名前を書くのはとても大切なことよ」

それじゃあ。と、挨拶を残し千鶴は自分の部屋へと帰って行った。

「………………っは!」

千鶴の言葉を理解するまで、またもしばらくの時間を要した。
部屋の中に駆け戻り、先ほど千鶴から受け取ったアンスコを丹念に調べる。
そして発見した。



「くぎみー」



油性のサインペンで書いたあと、マニキュアの除光液を上から塗ってあったらしい。洗濯をしても、その文字は滲んで広がることなくしっかりと読み取れた。

犯人はすぐにわかった。
この部屋で、円のことを「くぎみー」と呼ぶのは一人しかいない。



「さ、桜子ぉぉぉ!」






帰宅後の惨状を、ルームメイトの美砂はこう語った。

「……すごかった……」

そして、桜子はこう供述している。

「もう、お嫁にいけない……」



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