Shake!! 第七話


楓は、広場にあるビビッドピンクの自動販売機の前で佇んでいた。
自動販売機はいまだ故障中にもかかわらず、楓はその場を動こうとしない。
目が細いためもともと表情の読みづらい顔立ちをしていたが、今の楓の表情はさらに読みづらく、その考えていることは容易に知ることはできなかった。
ただひとつ、折からの騒動で憔悴しきっていることと、生気のないことだけは窺えた。

「やっぱりここにいた。かえで姉、はっけーん」

先ほど教室を飛び出した鳴滝姉妹と美空の三人が、楓の下にたどり着いた。
鳴滝姉妹の二人は楓の発見された場所を聞き及んでおり、この場所にあたりをつけていたため、すぐに楓を発見することができた。

「かえで姉! いったいどうしちゃったんですか? 心配してたんですよ!」

史伽が珍しく感情を爆発させた。
よほど、楓のことを心配していたのだろう。

「そーそー。人騒がせも大概にして、さっさと教室に戻ろうよ」

美空が軽い調子で続ける。
しかし、当の楓は呼びかけになんら反応を示さない。
視線は、自動販売機に向けられていた。

「かえで姉? おーい、聞いてるのかー?」

楓に近づこうと風香が一歩踏み出した瞬間、楓が振り向いた。
その表情は依然窺い知ることができないが、今まさに気が付いたといわんばかりの挙動である。

「? かえで姉……」

風香がもう一歩を踏み出す。
途端、楓は方向を転換し走り出した。
つまり、逃げ出した。

「あー! かえで姉、どこ行くんだよー」
「かえで姉、逃げないでー」

急に逃げ出した楓を追いかける風香と史伽であったが、その差は縮まるどころか広がっていく一方である。
それもそのはず、コンパスのスケールが違いすぎた。
しかし、その二人の後方から猛然と追い上げる人影があった。

「ふふ、このわたしを忘れて貰っちゃ困るわね。あんたたち、ここは私に任せといて」

追い抜き際にそう伝えて、さらに加速をする。

「お、お願いします。かえで姉を捕まえてくださいー」
「任せたぞ。こんな時くらいしか目立てないんだから、しっかり活躍してこーい」
「うるさーい! 一言余計だ!」

風香の罵倒にも似た激励を受けて、美空は楓の後を追った。






「知らなかった。麻帆良学園にこんな静かな場所があったなんて……」

うっそうと茂る緑に囲まれた場所。
木々のざわめきが、耳に心地よい。
時折、吹き抜ける風。
そして、足元から照らされる木漏れ日。
右足首に食い込む荒縄。
次第に頭に集まる、血の巡り。

「ていうか、学園内に罠を仕掛けるの卑怯じゃない?」

私、春日美空は今、何処ぞの忍者が仕掛けた罠にはまって宙吊りにされていた。
右足だけが吊られている状態なので、非常にバランスが悪い。
加えて、完全にスカートがめくれ上がってしまっているので、助けが来てくれても素直に喜べる状況とは言えなかった。

「あーあ。こんなことならモブキャラとして、平穏無事に過ごしてた方が良かったのかな?」

最大級の皮肉を込めた身を切るようなつぶやきは、木々を吹き抜ける風に散らされていった。

「あれ? もしかして、私の出番、これで終わり?」






「見つけましたよ、楓さん」

ネギが、世界中のふもとで楓を発見したのは、それからしばらく後だった。
右手に持っていた杖を背中にしまい、楓に話しかけた。

「さあ、みんなも心配しています。そろそろ戻りましょう」
「…………」

楓は答えない。
まるで、ネギの声が届いていないかのようだった。

「楓さん……」

ネギは焦れていた。
鳴滝姉妹からの目撃情報を頼りに楓をここまで追いかけることができた。
しかし同時に、二人からは楓に逃亡する恐れがあることを言い含められていた。

――もう少し時間を稼がないと、「あれ」が到着するまで。

今のところ、楓の様子に変化は見られないが、ネギには楓を監視することしかできない。
魔法を使って束縛を試みたとしても、楓の身体能力を考えるとその成功率は低い。なにより、自分の生徒に向かって攻撃魔法を使うことがためらわれた。

「ネギせんせー!」

そんなネギの元へ、救援を告げる声が届いた。
振り向くとそこには、声の主であるのどかと、生協の手提げのビニール袋を持った夕映、そしていつ合流したのかハルナの三人の姿があった。

「みさなん!」
「遅くなってすいませんです。ネギ先生、これを」

夕映は持っていたビニール袋を手渡す。
ネギが中を確認すると、そこには「プリンシェイク」の缶が三本入っていた。

「これが?」
「はい。先ほどネギ先生から聞いた楓さんのうわごとと、日曜日に起きた自動販売機のある広場での出来事。これらから考えられる、楓さんの起こした一連の奇怪な挙動の原因は『これ』にあると考えられます」

プリンシェイクを初めて見たため戸惑いを隠せないネギに、夕映は自らの考えをとうとうと語った。
そしてその手には、いつの間に取り出したのか紙パックのジュースがあった。

「ですが、自動販売機は故障中って……」
「なにも、あの自動販売機だけが特別なのではありません。『プリンシェイク』は学生生協でも売っている普通のジュースです」

夕映は手に持ったジュースをもてあそびながら説明をした。まだ、ストローを取り出していない。

「ねえ、原因がその『プリンシェイク』なのは分かるんだけど、なんでここに楓さんが居るって分かったの?」

頭の上に疑問符を飛ばしながらハルナがのどかに問いかける。
のどかは答えに窮した。
魔法の力を使ったパクティオーカードで連絡を取り合っていた、などと言えるはずもない。

「えっと、それはその……」
「携帯電話です」

夕映が冷静に助け舟を出す。

「え? でも、携帯電話なんていつ使ってた?」
「携帯電話です」

夕映がにべもなく言い切る。
ハルナの問いかけから開放されたのどかは、ネギを促した。

「ネギせんせー。早くそれを」
「はい、ありがとうございます。みなさん」

のどかの言葉に押され、ネギは楓に振り向き直した。
一つ息を強く吐き出し、気合を入れ直す。

「楓さん! ここに『プリンシェイク』があります。さあ、こちらに来てください」

袋の中から一本を取り出し頭上に掲げながら楓に呼びかけた。
「プリンシェイク」という単語に反応したのか、楓がこちらを振り向く。

「――うわっ!」

次の瞬間、ネギの短い悲鳴とともに、彼と楓の姿が見えなくなる。

「あ、あれ? ネギ君は? 今までそこに居たのに。ていうか、前にもこんなことがあったような……」

驚きの声を上げるハルナだったが、それは他の二人も同じらしく、きょろきょろと辺りを見回していた。

「あうー。た、たすけてくださーい。」

世界樹の枝から声が聞こえた。
一口に枝といっても、そこは世界樹の枝。その巨大さから三人は上を見上げる形になった。
そして、視線の先にネギを小脇に抱えて枝の上に立つ楓の姿を捉えることができた。

「ネ、ネギせんせー」
「うお、いつの間に。ていうか、瞬間移動?」
「あ。見てください。楓さんが」

楓はネギを足元に下ろし、プリンシェイクのプルトップに手をかけた。
そして、一気に喉の奥へと流し込む。
一口で飲み終わった楓は、余韻を味わうかのように大きく深呼吸をした。

「拙者の大願は、今成ったでござる!」

普段の楓に似合わない大音声で、素直に自分の気持ちを表した。
そして、自分の足元にいるネギに気付く。

「おや、ネギ坊主ではござらんか。こんなところで何をしているのでござるか?」
「…………」

途端、いつもどおりの楓に戻ったことにネギはあっけにとられていた。
言葉が出てこない。
それでも、無事に事態が収集できたことに安心したのか、地上に居る三人にサムズアップをして見せた。

「どうやら、一件落着のようですね」
「え? あれで?」

ネギのジェスチャーを見た夕映は、事が終わったことを理解した。
そして、手に持っていたジュースを飲み始めた。

「? ゆえー。それなんていうジュースなの?」

のどかの問いかけに、待ってましたと言わんばかりに夕映が答える。しかし、その表情は、やはり不機嫌にも見える。

「これですか? 『ネギカルピス』です。最近、私のお気に入りのジュースです」
「え?」

ジュースの名前を聞いたのどかが顔を赤らめる。ハルナの影響か、そちらの知識がついてしまっていたためである。

「うわー、きわどい名前のジュースね。どんな味なの?」

インパクトのある名前だけに、ハルナも興味を示す。

「味といわれましても……、ネギカルピス味です、としか答えようがありません。コーラをどんな味かと聞かれても、すぐに答えられないのと一緒です。ですが強いて説明するなら、ネギ特有の鼻の奥を刺激する青臭さと、カルピス特有の喉の奥に引っかかる――」
「あー、ごめんもういい。聞いた私が悪かったわ」

夕映の説明を途中でさえぎる。のどかの顔がさらに赤くなっていた。

「人に聞いておいて、それはないでしょう。あ、そういえば。聞いた話によるとこの麻帆良学園内のどこかに、新製品の『搾りたて!ネギカルピス』なる商品が――」
「だから、もういいって!」



暴走する夕映と、止めようとするハルナ、そして今にも倒れてしまいそうなのどか。
そんな下界の騒々しさとは無縁だと言いたくなる様な清々しい澄みきった青空と、その青空に麻帆良学園で一番近い場所で、満面の笑みを浮かべる楓の姿があった。






「おーい。だれかー」

まずい、そろそろ頭に上った血が限界を迎えつつある。
スカートがめくれて恥ずかしいとか思っていたけど、ここにきて四の五の言ってられる余裕がなくなってきた。
あ、やば、意識が朦朧と……。

「ていうか、私、オチ要員?」






<第六話>

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