たとえばこんな一日

第一話 いまどき少女とチケット


「あー、もう。むかつくー! 最悪!」

二つ折りの携帯電話が、開いたままの状態でベッドに投げ出される。液晶の画面にはメールの文面が表示されていた。そして、日曜日の朝のすがすがしい日差しが照り返る。
携帯電話を投げたのは、その持ち主の少女、柿崎美砂である。彼女は恨みがましい視線を携帯電話に投げつけるが、画面に映るメールの内容を思い返して、プイと顔を背けてしまった。
メールの内容は謝罪。以前より約束をしていたデートのキャンセルの申し出だった。
美砂が怒っている原因は、単にデートのキャンセルだけではない。
その約束の予定が今日であること。朝早くから起き出し約二時間をかけてメイクアップをした彼女の行動と時間が、完全に無駄になってしまったこと。

「私の貴重な日曜日の二時間を返せー! それにっ――」

そして、テーブルの上に置かれた二枚のチケット。美砂がルームメイトの友人から無理を言って譲ってもらったものだった。
自分の時間を無駄にされたことはまだいい。だが、友人の好意すら無駄にされたことだけは腹に据えかねた。
チケットを手に取る。映画のチケットで、公開は今週半ばまで。美砂が中学生であることを考えると、このチケットを使うチャンスは今日しか残されていなかった。

「せっかく譲ってもらったのに……」

テーブルに突っ伏しながら、今はそれぞれの用事で外出をしているルームメイトに心の中で詫びた。
桜子はラクロス部の練習試合のため、今朝は早めに出かけていた。もう一人のルームメイトである円は、飼い猫である「クッキ」と「ビッケ」を病院に連れて行っている。
頭を上げ、ふと思う。
さも当然のように病院へ行った円ではあるが、厳密に言うとクッキとビッケは円の飼い猫ではない。二匹の猫の本来の飼い主は桜子のはずだ。にもかかわらず、貴重な日曜日を潰してまで、円は猫たちの診察に出かけてしまっていた。つい今しがた美砂が気付いたが、おそらく円自身、その違和感にいまだ気付いていないのではないか。

「おいおい、あんたの飼い猫じゃないでしょうに」

少し抜けている円の行動に、美砂は思わず吹き出してしまった。
ルームメイトのことでひとしきり笑い、期せずして気分転換をしてしまった美砂は、今日一日の予定について考え始めた。
手元には二枚の映画のチケット。だれかを誘ってこの一日を有意義なものにしてやろう。
ただ映画を見るだけではつまらない。せっかく麻帆良を飛び出していくのだから、ランチにショッピングと洒落込みたいのが人情というもの。とはいえ今日の今日、いきなり出かけることができる暇な人間がいるかどうか。

「アスナにでも声をかけてみるか。どうせこの時間なら、新聞配達終わって二度寝してるだろうし」

当面の予定を決めて、美砂は行動を開始した。ベージュのジャケットを羽織り、黒系のキャップを手に取る。そして、携帯電話を手元に戻して折りたたむ。

「おっと、いけないいけない」

テーブルの上に置き去りにしてしまった映画のチケットをジャケットのポケットにねじ込む。

「いってきまーす」

ドアの閉まる音を最後に、部屋に静寂が訪れた。
今日はクッキもビッケもいない。この部屋には珍しい、音のない時間だった。






「アスナ? アスナならネギ君と出かけてもうたよ」

明日菜の部屋を訪れた美砂だったが、対応に出た木乃香の言葉によって当初のもくろみは空振りに終わってしまった。

「えー、そうなの? なんだ、アスナはネギ君とデートか……」
「んー、違うと思うえ。なんや昨日、超さんとさっちゃんに誘われとったみたいやし」

珍しい組み合わせだな、と思いつつ美砂は木乃香の服装に目を留める。木乃香らしい清潔感のある白いキャミソールに、ジーンズをはいている。顔にはうっすらと化粧がのっており、とても部屋で過ごすようないでたちではなかった。

「もしかして、このかも出かけ?」

自分の予定を問われた木乃香は、湧き上がる喜びを抑えきれず破顔した。

「うち? うん、うちはせっちゃんとデートや。あーん、聞いてな、柿崎。せっちゃんのほうから誘ってきてくれたんや。せっちゃんのほうからやえ?」

思わず仰け反る。
喜色満面の木乃香の様子に、美砂は悔しさを覚えた。こっちはデートをドタキャンされた直後であるのに、目の前のクラスメイトはこれからの一日の予定を思い浮かべ、うれしさを隠さない。
たとえ、女の子同士のデートでもお互いが好き合っているのであれば、それはそれでうらやましい。いや、むしろそっちの方がいいのかな、なんて考えすら浮かんできていた。

「そっか、このかも予定があるんじゃ仕方ないよね。誰か別の暇そうなやつを探すとするか。それじゃ、デート楽しんできなさいよ」
「うん、おおきになー」

これ以上、木乃香の「のろけ」にあてられていては、精神衛生上よろしくない。
そう判断した美砂は、足早にエレベーターへと向かった。






一階。ロビーのあるホールは静まり返っていた。
平日であれば、別棟のテナントショップや麻帆良COOPが生徒に合わせて開店している時間帯であるが、日曜日の朝ともなればそのほとんどが閉まっている。それゆえ、お店を利用する生徒もいない。
ロビーに目を戻しても、生徒がたまに一人二人通りかかるくらい。もう少し時間もたてば外出をする生徒の待ち合わせなどで、ベンチタイプのソファーにも人が集まりだすのだが、今現在、ガラス張りのロビーには朝の日差しが静かに差し込むのみだった。

「そりゃ、そうよね。誰も、日曜の朝八時から出かけようっていうヤツなんかいないか……」

自嘲気味につぶやきながら、力なくそばにあったソファーに腰掛ける。両膝の上に両肘を乗せ、頬杖をつきながら盛大なため息をついた。

「?」

ため息の数が一つ多い。自分以外のため息がすぐ近くから聞こえた。
聞こえた方向を確認するとちょうど真後。柱を背にして座っていたため、完全に死角に入ってしまっていたようだった。
美砂は立ち上がり、柱から身を乗り出してもう一人のため息の主を確認する。そこには、クラスメイトの一人が先程の美砂とおなじ格好でベンチに座っていた。所在無げに足をぶらぶらさせていることから、おそらく暇をもてあましているのだろう。

「お、これはこれは」

美砂の食指が動く。先程の木乃香との会話を思い返したわけではないが、彼女が見たとおり暇をもてあましているのであれば、女の子通しで遊び回ってみるのも一興だろう。
普段あまりつるんでいるクラスメイトではないが、美砂自身相手への興味があった。どうせこのままここにいても、他に暇そうな人間が見つかる保証はない。
ならばいっそ、この偶然が導くまま、ほんの気まぐれに身を任せ、ちょっとだけ勇気を出して声をかけてみよう。
映画のチケットをジャケットのポケットの上から確認して、相手の視界へと躍り出た。

「おっはよ。ね、今日ヒマ?」

我ながらナンパみたいな誘い方だな、と思いつつも、これからの一日思いをはせてみた。



<第二話>

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