「へえー、そんなことがあったんだ?」

学生寮から駅へと向かう途中、のどかと夕映から昨晩に起こった出来事を歩きながら聞きいていたハルナは、簡潔に感想をこぼす。
月曜日の朝の澄んだ空気の中、学校へ向かう学生や生徒の中にハルナたち三人の姿があった。
古菲暴走事件から一夜明けて、普段どおりの一週間が始まる朝である。

「別にひどい目にあったわけじゃないんだけど、とっても疲れたよ」
「はは、それは災難だったねー」

大浴場「涼風」封鎖の原因を教えていたのどかと夕映だった。
しかし、ハルナの態度があまりにも軽くあっけらかんとしていたため、夕映は少し不満げに文句を言う。

「ハルナ。そんな他人事のように――」
「だって、他人事だもん」

夕映は抗議の言葉をハルナに簡単にいなされたため、次の言葉が出なかった。そのため、決まり悪く視線をそらしのどかの表情を伺うと、ちょうど目が合った。昨夜の体験を分かち合った仲であるからか、お互い思わず苦笑がうかんでいた。

「あ! あれ、アスナたちじゃない? おーい! アスナー!」

ハルナたちの前方に駅の改札が見える。ハルナが指し示したちょうどその付近に、明日菜の姿があった。

「あ、パル。おはよー。みんなも、おはよー。昨日はおつかれさま」

夕映とのどかを確認した明日菜は、先ほどの二人と同じく苦笑いをする。言葉とともに、その表情でお互いの労をねぎらっているかのようであった。
挨拶を返す明日菜の両脇には、同じ部屋に住むネギと木乃香がいた。この二人が明日菜と一緒にいるのはいつものことなのだが、今日は普段と様子が少し違っていた。
ネギはどこか体調が悪いのか、いつも持ち歩いている自身の身長より大きな杖をついて体を支え、つらそうにしている。挨拶を返すのも億劫な様子だった。
対して木乃香は、溢れんばかりの元気を持て余しているかのような上機嫌で、同じ部活に所属している仲間たちにはきはきと挨拶をしている。
ネギと木乃香、二人は目に見えてはっきりと対照的な様子だった。

「ネギ君、大丈夫? なんか、つらそうだけど」
「はい、なんとか……。ちょっと、頭がズキズキするんですけど」

どうやら二日酔いのようである。
ネギの様子を見たハルナは、先ほど夕映とのどかから聞いていた昨晩の出来事を改めて認識した。
だとすれば、まだ被害者がいたはず。
ハルナは話の内容を思い返していた。



改札をくぐりホームへ着いたハルナたちは、ネギと同じ症状のクラスメイトたちと合流した。
遠目でも分かる恵まれた体格の生徒一人と、遠目では人ごみにまぎれてまったくわからない未発育な生徒二人。ついでに、標準的な体格の生徒一人。

「おお、おはようでござる。皆の衆」
「うう、気持ち悪いです……」
「かえで姉、おんぶしてよう……」
「ねえ、私ってついでなの?」

昨日の事件とは関わりの無かった楓はいつもの様子である。しかし、その楓にもたれかかりすがりつく双子はかなりつらそうだった。ついでの美空は双子よりも症状は軽そうで、なんとか一人で立っている。

「話には聞いてたけど、結構ひどい有様ね。みんな、大丈夫?」

双子のつらそうな様子を目の当たりにしたハルナは、ここに来て事の重大さが見えてきたようだった。
いままでは、いつもの愉快なハプニングだと考えていた節があったようだが、ここまで被害が大きいともはや笑い事では済まされない。
明日菜や夕映、のどかも双子の様子を気遣っている。

「おっはよー、アスナ。あれ、昨日のみんなが勢揃いしてるわね」

後ろからアスナに声がかけられる。
昨晩の事に言及していることから、事件にかかわった人物と思われたが、果たしてそうだった。
美砂が手を振りながら近づいてくる。そのすぐ後ろから、円が近づいてくるのも見える。

「全員ってわけじゃないみたいだけどね。あ、ネギ君。大丈夫? あの後、目を覚まさなかったって聞いてるけど」
「実は、あまり良く覚えてなくて。気がついたら朝になってました……」

円はネギと、美砂は明日菜たちとそれぞれ昨日の話題で盛り上がっている。
当事者ではないハルナは、どこか取り残された形になってしまった。
ハルナは盛り上がっているネギたちから視線をはずし、ホームの端、電車の来る方向へ目を向ける。そこで、もう一人クラスメイトを発見した。
距離にして、電車の車両でちょうど一両分先だった。

「あ。おーい! 龍宮さーん!」

真名が身を包んでいるのは学校の制服だが、肩には昨日と同じギターケースがあった。
ハルナに呼びかけられたことで、ハルナとその周りにいるクラスメイトに気がついたのか、軽く手を上げてハルナの方へと近づいてきた。

「おはよう。早乙女」
「うん、おはよう。あ、そうだ! 龍宮さんにも教えてあげる。昨日『涼風』で起こった悲惨な事件の真相を」

挨拶もそこそこに、ハルナはさきほど夕映とのどかから聞いた昨夜の事件の顛末をちらつかせる。
普段であれば、自分に関係のない出来事になんら興味を示さない真名だが、昨夜に入浴という癒しの時間を奪われ落ち込んでいたためか、表情こそ変わらないが食いついてきた。

「それは、大浴場が封鎖になった件か?」
「そう。まさかあんなことが原因で、お風呂場が使えなくなっちゃうとはねえ」

真名は早く事件の真相が知りたいのか、少し険しい表情でハルナを見つめている。
そのハルナといえば、他人の受け売りににもかかわらず、じらすだけじらしていた。
こうすることによって、会話の内容を寄り強く相手に印象付けることができる、ここにハルナの噂拡散能力の真価が発揮されていた。

「電車が来たでござるよ。さ、二人とも、立てるでござるか?」

電車が来たことに気がついた楓が、双子に告げる。二人ともしゃがみこんでいたが、楓に促され何とか立ち上がった。
ホームに車両が滑り込み、大きな音を立てる。すぐ隣にいる人の声も届かなくなることをみんな知っているためか、自然と会話が途絶えた。一様に無言で電車の動きが止まるのを待っていた。

「ほら、ネギ。乗るわよ」
「……うう」

明日菜はネギを、楓は双子をそれぞれ介助しながら電車へと乗り込む。車内にはまだ空席がいくらか残っており、ネギと双子が優先的に座らされた。
立って過ごす者も、手すりやつり革などにつかまるなどして自分の場所を決める。明日菜はネギの座っている前に立ち、そのそばに木乃香もいた。楓も同様に双子のそばに立っている。残りの面々は比較的出入口に近い場所に陣取っていた。
そうしてようやく落ち着いた頃、真名は先ほどの話の続きを聞き出すべくハルナに話しかけた。

「それで、早乙女。先ほどの話の続きなのだが」
「ああ、そうね。えっと、どこまで話したっけ?」

実際に事件の内容について話したことは何も無かったが、ハルナ自身はどうやら話したつもりになっているらしい。先ほどは、精一杯じらすことに努めていただけに性質が悪い。
真名は手早く情報が知りたかった。表情こそ変わらないが、段々と焦れてきているのが自身でもわかっていた。
そんな真名の心の内を知ってか知らずか、ハルナはようやく順を追って話し始めた。

「事の発端はくーちゃんなんだけどね……、って、お? あれ、くーちゃんじゃない?」

ハルナの指し示した方向に古菲がいた。

「ちょっと待つアルー!!」

改札を抜けた古菲は両手にカバンを抱えながら、必死の形相で電車に駆け寄ってくる。
すでに発車ベルが鳴っているにもかかわらず、古菲は走るのをやめようとしない。よく見ると彼女の後ろから、超と五月が走ってくるのも見える。

「朝っぱらから、いったい何をやっているんだ? あいつは」
話を遮られた腹いせではないだろうが、それでも真名は不満げに古菲に対する不満を小声でこぼした。
会話の流れから古菲のことを見ていたハルナと真名以外にも、近くにいた美砂や円も古菲の動向に注目している様子である。
発車ベルが鳴り止む。

「ハッ!」

ドアが閉まりかけようとしたその時、古菲は自分の体を扉と扉の間に滑り込ませ完全に閉まるのを防いだ。背中で片側の扉を押さえつけ、もう片方を高く上げた左足によって受け止める。自分の体を張って、ドアをこじ開けた形となった。
その足をくぐるようにして、五月が電車に駆け込んでくる。

「ちょっと、くーちゃん――」
「超! 何してるアルか? 急ぐアル!」

古菲の無茶苦茶な行動をたしなめようとハルナが口を開き始めたが、古菲は聞く耳持たず。遅れている超に対し檄を飛ばしていた。
倒れ込みようにして超が車内に入るのを確認すると、古菲はようやく体をどけて扉が閉めるのを許す。駆け込み乗車を注意するお決まりのアナウンスが流れるのを聞き流し、さらに超に対し追い討ちをかける。

「どうしたアルか? 超。いつもの超らしくないアル」
「………………」

超は何も言わない。いや、言えないと言ったほうがいいだろうか。
倒れこんだままの四つんばいの姿勢からなかなか立ち上がろうとしない。それもそのはず、超は昨夜、ネギとともに古菲に返り討ちにあっているからだ。
つらそうにうずくまる超に手を差し伸べながら五月が言う。

「くーさん、よく考えたらまだ時間がありますし、次の電車を待っても良かったと思います」
「あ……」

腕時計の時間を指し示す五月の言葉どおり、電車での移動時間を計算しても始業の時間まではまだ余裕があった。
古菲はそのことに考えが及ばすに、電車が発車しそうだったから、という理由だけダッシュをしたものらしい。
おまけに、古菲が超のカバンをもっていたおかげで、超までいらぬダッシュをさせられていた。

「さすがくーちゃん、朝っぱらからナイスボケね」
「変なことに感心してないで、ちょっとは手伝いなさいよ」

超の介抱を手伝う円をよそに、美砂はあごに手を当てしきりになにやらうなずいている。五月と円はとりあえず、先ほど利用した乗車口とは逆の扉に超を凭れ掛けさせた。

「けど、くーさん。お酒に強いんですね。一緒にお風呂場で倒れていたネギ先生もダウン気味なのに」

超の介抱を終えた五月は、少し離れた座席にネギの姿を捉えた。そして、ネギと超の状態と、古菲のそれとを対比して感動を述べた。
その感想を聞いたハルナが、メガネを光らせる。

「それよ! ちょっと前から気になってたんだけど、なんでくーちゃんはそんなに元気なの? ネギ君もチャオもあんな状態なのに」
「ん? それは、鍛え方が違うからアル。あの程度のお酒なんて、○ロ吐いて一晩寝てしまえば治るアル」

ハルナに対する古菲の回答は、下品で乱暴なことこの上ない。転んですりむいたひざ小僧につばをつけておけば治る、というのと同じノリで言うのである。
そんな古菲の言葉を聞いた周囲の女子生徒は、古菲を中心に少しずつ引いた。
おそらく、心の中でも引いているに違いない。

「ちょっと、くーふぇ。だからってその場で吐かなくたっていいじゃない。おかげで『涼風』が使えなくなっちゃったんだから。それに、あんた女の子なんだから、もう少し――」
「そうか、すると昨夜の『涼風』封鎖の原因はお前ということだな? 古」

明日菜がその乱暴な言葉遣いをとがめる前に、真名が古菲を問い詰める。大浴場「涼風」封鎖の原因を知った真名の背後には、いまだかつて無いほどの殺気が立ち込めていた。
襟首をつかむ、ではなく、頭をわしづかみにする。

「ハ、ハイ。すいませんでしたアル」

さしもの古菲も、このプレッシャーを帯びた真名の前では、蛇に睨まれた蛙の如き様相であった。



「ふーん、そんな面白いことがあったんだ。私も出かければよかったかな」

美砂から古菲との渋谷での出来事のあらましを聞いていたハルナは、昨日一日の出来事に思いを馳せる。
車内が落ち着きを取り戻してきた頃、電車は次の停車駅へと到着した。当然のことながら、登校する学生や生徒が多数乗車してくる。新たに乗り込んできた乗客に押される形で、入り口付近にいた3−Aの面々は通路中央付近まで押し込まれた。
そして今、そのハルナを含めて四人、ちょうど円陣を組むような格好で向き合っている。ハルナの右隣から古菲、真名、美砂と一周してハルナという立ち位置だった。

「あ、だったら今度一緒に出かけない? くーちゃんのコーディネイトしてたら、自分の服を買いそびれちゃって」

当初、美砂の美砂の目的には自分の服を買うことなど無かったが、せっかく出かけておきながら買い物をしそびれたことを、美砂なりに悔やんでいる様子だった。

「なら、私も付き合っていいかな? ちょうど余所行きの服がほしくてな」

意外な人物からの申し出に、思わず顔を見合わせるハルナと美砂。真名は表情を変えずに二人を見ている。
承諾の返答がすぐに無かったことで、場の空気が気まずいものへと変わる直前、空気など関係ないかのように古菲が言う。

「ム、真名が行くならなんとなく面白そうアル。私も行くアル」
「あ、くーちゃんは昨日買った服じゃないとだめだからね」
「ナ!」

ハルナは二人のやり取りを眺め、顔をほころばせた。そして真名を見上げる。

「次の日曜日でいいかな? 予定空いてる?」






電車は進む。
いつもと変わらない日常を象徴するかのように。
このいつもと変わらない日常が続くことが、どんなに平和なことだろう。

ただ、たまに思う。
昨日のような「こんな一日」が、たまにはあってもいいんじゃないか、と。

電車は進む。
昨日の主役たちを乗せて。
そして、来るべき次の日曜日の主役たちを乗せて。

いつもと変わらない時間で走る、いつもと変わらない電車の中。
誰ともなしに、つぶやいた。

「次の日曜日、楽しみだな……」



たとえばこんな一日

最終話 ア☆ライブ


<第十三話>

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