たとえばこんな一日

第十三話 一日の終わり


ピンチである。
目の前には古菲。瞳には正気の影が見えず、手には紹興酒の入ったひょうたんを持っていた。
転じて大浴場入り口付近。害のなさそうな女子中学生が四人、そして神楽坂明日菜。
酔っているとはいえ、相手は中国武術の達人である。このメンツで対峙するには心許ないことこの上ない。
唯一明日菜が、刹那から剣術の手ほどきを受けているものの、振り回す獲物がない以上やはり当てにはならない。
頼みの綱だったネギは、あっちのほうで果てていた。

「さ、覚悟はいいアルか?」

ひょうたんを持っていないほうの手をワキワキさせながらにじり寄る古菲。
その迫力に押され、じりじりと後退を余儀なくされる明日菜たち一行。

「ていうか、チョット! 何でみんな、私の陰に隠れてるのよ」

明日菜の言葉どおり、一行のほか四名は後じさりをしながら、ちょうど明日菜を盾にする格好をとっていた。

「だって、……ねえ」
「ほら、くーちゃんを相手にできるのって、この中じゃアスナだけじゃない」
「アスナさん。が、がんばってください」
「アスナさん。あなたの犠牲は無駄にはしないです」
「コラー! 勝手に話を進めるなー!」

現状明日菜が古菲を倒すのは不可能である。このままいけば、全滅の憂き目にあう。
ならば、明日菜に時間を稼いでもらっている間にほかの四人が逃げる。明日菜の犠牲。これが夕映の算段であった。

「刹那さん! 楓ちゃん! 誰か助けてー!!」

明日菜が助けを求めた相手、桜咲刹那と長瀬楓。そこに龍宮真名と古菲を加えた四人が、武道四天王を呼ばれている3−Aきっての武闘派集団である。
誰がいつごろから呼び始めたのかはわからないが、その強さたるや並みの人間がかなうものではなく、まさに四天王の名にふさわしい。
したがって、四天王の一角である古菲が暴走している今、この現状を収拾するには同じ四天王の力が必要なのである。
ちなみに、その四天王が今頃どうしているかといえば――。



「はい、せっちゃん。あーん」
「そ、そんな。お嬢さ……あ、いえ。このちゃん……」
「あーん」
「……………………あ、あーん」



「いやー、拙者としたことが、失敗したでござる。今日が日曜日ということをすっかり忘れていたとは。危うく、もう一泊するところでござった。さて、さっさとテントを片付けて撤収するでござる」



『ワケギの魔法で移動したのはいいんだけど、ココってどこ? すごい蒸し暑いし』
『今日の勉強はここでやるんよ。南米大陸のアマゾン川流域や』
『わー。すごい! ジャングルですよ、明日葉さん!』

「ふーん、南米のアマゾン川か」
「……昔を思い出すな」
「え、龍宮さん、行ったことあるの?」
「ああ」
「いいなー、私も一度こういうところに行ってみたいなー。後学のために」
「あまりいいところではないぞ。虫や蛇なんかがいるしな」
「蛇か……、それはチョットな……。あ、でも、チュパカブラとかは見てみたいわね」
「チュ……、それはさすがに見たことがないな」



結論。誰も助けに来ません。

「いやあぁぁぁぁぁぁ!!」

目前の敵を倒すすべもなく、救援の当てもない。もはや絶体絶命、風前の灯と思われた明日菜の運命だった。
しかし――。

「ム!」

突如、高速で飛来する物体。狙いは古菲。
しかし、古菲は空いているほうの手で難なくキャッチした。その手につかんだ物体の正体を確かめてみると、それは彼女の好物、肉まんであった。

「それまでネ、古」
「……超アルか」

援軍が到来した。
来ないものだと思っていた助けだけに、明日菜たち一行はひどく安心したのか、涙ぐむものさえいた。

「店の商品に手を出しただけでは飽き足らず、酔いに任せての乱行三昧。捨て置くわけにはいかないネ!」
「カッパの恨みは大きいアル。覚悟するアル!」

竜虎相打つ。
会話の内容は相も変わらずかみ合っていないが、竜と虎のイメージが超と古菲、それぞれの背後に幻視できるほどに、二人の気迫は最高潮に達していた。



夜の真帆良学園都市をひた走る一つの人影があった。

「早くしないと……手遅れになってしまう……」

ひどく急いでいる様子のその人物は、ただひたすらに目標へと向かって走っていた。



戦いは一進一退の攻防を繰り返した後、徐々に超へと形勢が傾いていった。
古菲はネギと戦った直後の連戦で疲れもある。一方、超の攻撃は的確に古菲のひょうたんを狙っていった。
自らの頼みとする紹興酒入りのひょうたんを失って、精神的に追い詰められた古菲は、その動きにも精彩を欠き始めている。

「まだやる気ネ? おとなしく降参するといいネ」
「うう……」

古菲の持つひょうたんはすでに片手と腰の一個ずつを残すのみ。たとえ古菲が健在だとしても、騒ぎの元凶であるお酒がなくなってしまえば元も子もなくなる。超の作戦勝ちといえた。
しかし、この大浴場。よほど古菲に味方しているのか、またもや湯気が視界をさえぎるほどに濃く大きく立ち込めてきた。

「何ネ、この湯気は。くっ、しまた。見失たヨ」

視界はすぐに晴れたが、古菲の姿が湯気とともに掻き消えてしまった。
明日菜たちも古菲を見失ったのか、それぞれ別々の方向へ視線を飛ばしている。

「超さん、ひとまずこちらへ」

敵の姿が見えない以上、どこから攻撃が行われるか予測がつかない。
超は夕映の助言に従って、入り口付近の明日菜たちのいる方向へと移動を開始した。

「!」

その矢先。先ほどの意匠返しとばかりに超に向かってひょうたんが投げつけられた。
背後からの攻撃だったが、超は難なく片手ではじき落とす。ひょうたんが飛んできた方向に目を凝らすが、一番大きい湯船があるだけで古菲の姿はない。
ここで超は違和感を覚えた。
今、はじき落としたひょうたん。腕にかかる衝撃が軽すぎる。
超は周囲に気を配りながら、ひょうたんを足でつついて確認をする。
中身が入っていない。

「これは?」

投げつけられた空のひょうたん。
姿の見えない古菲。
これの意味するところは何なのか?

超は次に起こりうる出来事に備え後ろ向きに後退をする。

「超さん! あぶない!」

明日菜が叫ぶ。
超の左手。大浴場の奥から長く伸びる一番大きい湯船。その中のお湯が突如として隆起した。

「なっ!」

お湯の中から現れた人影が超を突き倒す。

「超さ……って、うわあ」

明日菜をはじめ、その場にいた五人全員が、引く。
それは、超の無残な姿を目の当たりにしたためだ。
お湯から飛び出してきたのは古菲だった。古菲は超の上半身に絡みつくように両手両足を使い、行動の自由を奪う。
そして、ネギと同じく酒を飲ませた。ただ、ネギと違ったのは酒を飲ませる方法。
器である空のひょうたんは床に転がっている。では、中身はどこにあるのか。

「んー!! んー! ン……ンふぅ……」

超の抵抗が小さくなる。やがて、動きそのものがなくなってしまった。

「ぷはっ。……じゅるり」

唇と唇が離れる。
酩酊状態の古菲が、ゆらりと立ち上がり明日菜たちに振り向いた。
超は動かない。

「ちゃ、超さんまで……」
「ちょっと。……これは、まずいんじゃない?」

ひょうたんの中身は、古菲の口の中にあった。
超の抵抗を受けずお酒を飲ませる方法として、古菲がとった方法。それは「口移し」だった。
超の悶死する様を見せ付けられた明日菜たちは気が気ではない。次は我が身かも知れないのだ。

「ね、ねえ美砂。心なしかくーちゃん、アンタのこと見てない?」
「ちょっと、やめてよ。って、ゲ。ホントだ」

円の指摘するとおり、古菲は美砂のことを見ていた。いや、目の焦点が合っていないので、美砂のほうを向いていたというべきか。

「そういえば、くーふぇさんは先ほども柿崎さんを名指ししてましたです」
「柿崎、何か心当たりはないの?」

明日菜に問われた美砂は、軽く目をつむり人差し指をおでこに当てて考えるしぐさをする。

「…………渋谷でドナドナ」
「は?」

その場にいた四人は目を点にする。しかし、古菲は違う反応を示していた。
美砂の発言が引き金となったのか、腰に残った最後のひょうたんを手に取り、ゆっくりと美砂に向かって歩き始めた。

「うーん、やっぱり思い当たることなんてないわ。……って、あれ?」

目を開いた美砂の目の前には、古菲の姿があった。
今まですぐそばにいた四人は、先ほどまで古菲のいた辺りにいる。どうやら、美砂しか目標にしていない古菲の左右の脇をすり抜けて立ち位置を入れ替えたようだった。
美砂は助けを求めるような視線で、友人たちを見る。
古菲の後方、向かって右。

「あ、あの。柿崎さん、がんばってください」
「柿崎、覚悟を決めなさい」

向かって左。

「柿崎さん、あなたの犠牲は無駄にはしませんです」
「美砂、骨だけは拾ってあげる」

みんなそろって、サムズアップ。
そして、正面。
ひょうたんの栓を今にも引き抜こうとしている古菲がいた。

「う、裏切り者ー! だ、誰か、助けてー!」

美砂の助けを求める声は、果たして天に届いた。
古菲がまさに美砂に手を伸ばそうとしたとき、割って入ってきた人物。美砂の貞操の危機は、辛くも彼女に救われたのだった。

「ム、五月……邪魔をしないでほしいアル」
「いけません、くーさん。もう、おしまいにしましょう」

彼女、四葉五月は怒っていた。
温厚な彼女が怒りをあらわにすることは、まずめったにない。
普段、あまり怒らない人物が怒った場合、非常に怖く感じることがある。五月のそんな迫力に押されたのか、古菲は数歩後退する。それに伴って、後ろの四人も同じ距離だけ後ろにさがった。

「コ、コラー! 柿崎、さっちゃんを盾にするんじゃない。さっちゃんがくーふぇにかなうはずないでしょ」
「そ、そんなこと言ったって……」

助けに来てくれた五月を思ってか、明日菜はめちゃくちゃな発言をしていたが、それを聞いた五月はいくらか表情をやわらげて言った。

「私は、大丈夫です。ただ、もう、くーさんは……」

どこか悲しみを帯びた瞳のまま、五月は古菲を見つめた。
それにつられ、みんなも古菲に目を向ける。

「はあ……はあ、っく。……はあ……はあ」

先ほどまで暴れまわっていた勢いと打って変わって、今の古菲はとてもつらそうに上体を屈めていた。
呼吸が荒い。
ひょうたんを床に落としても、再び手に取る余裕さえない。
古菲の様子が急変したことに、五月以外の五人はいぶかしげな表情を浮かべる。

「……これは、……もしや」

冷静に古菲を観察していた夕映は思った。
今の古菲の様子は、先ほど廊下で見た史伽の症状と酷似してはいないか。
ひどく嫌な予感がする。
そして、その直後、夕映の予感は現実のものとなった。

「はあ……、っう、ぅうっ」






濁流。
本来流れに逆らうその激流は、透明度という言葉とは程遠い様相である。
その、あまりにも現実離れした光景に、その場にいた誰もが思った。
これも、自然に起こる生理現象のひとつなのだろうか。






『うわー! すごい! すごいですね、明日葉さん』
『ふーん、これが「ポロロッカ」か。たしかにすごいわね』
『な? わざわざアマゾン川まで来た甲斐があったやろ?』

「へえー、これがうわさに聞く『ポロロッカ』ね。確かにすごい迫力だわ」

食後のお茶をすすりながら、視線は画面に釘付けのハルナが感想をこぼす。
画面には、アマゾン川の映像が映されている。ポロロッカとは大潮のときに起こるアマゾン川の逆流現象のことで、ドクトル木乃伊は今回の勉強の題材として、この大海嘯を扱うことに決めたようである。

「実物を目の前で見ると、もっとすごいぞ」
「え! 龍宮さん、見たことあるの?」

ハルナは、今まさにデザートのあんみつを食べ終えた真名に振り向く。

「ああ。あれは、実に壮観だな」

そして、同じくお茶をすする真名の話を聞き、再び画面に目を戻すハルナ。
その様子は実に楽しげで、瞳がうれしさで輝いていた。

『もうちょっと近くで見てみたいな。あ、あそこからなら、もっとよく見えるかも』
『チョット、ワケギ。あんまり近づくと危ないわよ! って、きゃあぁぁぁ!』

「あ、明日葉が川に落ちた」
「番組とはいえ、あいかわらず無茶をするな……」



夜は更ける。
テレビ番組と真名の体験談で、夕食時の楽しいひと時を過ごしていた二人だった。しかし、そんな二人にちょっとした不幸が訪れることになる。
いや、これは寮に住む女子生徒全員にとっての不幸か。

大浴場「涼風」の使用停止。

原因は、もはや語るまでもない。
楽しみにしていた入浴時間を奪われた生徒たちの悲しみと憤りはいかばかりの物だろうか。
特に、一日仕事で外に出ていた真名は、個室で汗を流すことを余儀なくされ、珍しく目に見えて落胆していたらしい。

こうして、長かったこの一日も終わりを迎えたのだった。



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