ずっと、そばに 第一話


ため息。
それも、わりと大きめなため息が盛大にこぼれた。
ため息の主を確かめるため、木乃香は後ろを振り向く。
夕焼けに照らされた橋の上を、一人の少女がうつむきながらとぼとぼとついてくる。その少女のさらに後ろには、彼女たちが先程までいた建物が見えた。

「どうしたん? のどか。なんや悩み事でもあるん?」

木乃香に話しかけられた少女、のどかは顔を上げ、慌てた様子で周囲を見まわした。
ドーム球場をものさし代わりに使いそうなほどに大きな湖。そのほぼ中央に位置する島、木乃香とのどかがいた中世ヨーロッパを思わせる建物はこの島に建っている。そして島と湖岸を結ぶ長い橋の上に彼女たちはいた。

「え?……あ、図書館島。そっか、部活終わったんだっけ……」

図書館島とはこの島の名称で、その名の由来となった図書館こそ、二人が部活動のために訪れていた建物のことである。

「のどか、寝ボケとるん? それとも、熱でもあるん?」

先程のため息といい、今のおぼつかない挙動といい、はたから見てのどかの様子は明らかにおかしかった。
そんなのどかを心配してか、彼女の元へ戻ってきて額と額をあわせる木乃香。

「ふむふむ、熱はあらへんな」
「あ、こ、このかさん……」

古来よりの方法でのどかの体調を確認した木乃香は、一歩下がって相手の目を真剣なまなざしで見据えた。

「のどか。さっきもいうたけど、悩みがあるんやったらいうてな」
「う、うん。だ、大丈夫。そんなに大したことで悩んでるわけじゃないから。ホントに、ネギせんせーのことで悩んでるなんてことは、絶対にないから――――あ」

二人の間を、沈黙が支配する。
のどかは顔はもちろんのこと、耳や首筋まで真っ赤になっている。
いくらぼんやりしていたとはいえ、自分の考えていたことをポロリとこぼしてしまっては、さすがに恥ずかしかったようだった。
それが、自分の想い人のことであるならなおさらである。
さて、この状況ではたして、彼女にどのような言葉をかけるべきだろうか。

気まずい。

その気まずさが、沈黙を長引かせることになる。
そしてその沈黙が、さらに声をかけづらい状況を作り出していく。
普通の人間には、この悪循環を断ち切ることは至難の業だった。
そう、普通の人間には。

「なーんや、そないなことならもっと早くウチに相談してくれれば良かったのに」
「え? え?」

のどかの両手を取り胸元まで持ち上げる。自分の両手で包み込むようにしてしっかりと握った。
ニコニコ顔の木乃香。
対して、目を白黒させ未だ状況のつかめていないのどか。

「さ、善は急げや。まだ下校時間まで間があるしな。さっさといこか」
「ちょ、ちょっと。このかさん?」

天然。
場の空気を読まないことに関しては、右に出る者のないはた迷惑なスキルであったが、この場ではいい方向に働いたようだった。
終始、木乃香のペースに飲まれていたのどかではあったが、結果として木乃香のおかげで沈黙に押しつぶされることだけは避けられた。
そのかわり、木乃香に腕を引っ張られ、どこへ連れて行かれるかわからない状況に陥ってしまっている。
果たしてこれが、のどかにとっての最善であったかはわからないが、二人はこの場を後にした。



のどかのため息と、気まずい沈黙。
この二つを置き去りにして、二人は湖岸へとたどり着いた。











夕焼けに照らされた校舎は、閑散としていた。
部活動の掛け声や楽器の演奏などはすでに無く、生徒たちのふざけあう嬌声もどこか遠くのほうで聞こえている。
二人分の足音が、夕方特有の冷たさと寂しさとをはらんだ空気の充満する、誰もいない廊下に響いてきた。

「このかさん。どこまで行くんですか?」
「ええから、ええから。んー、もうちょっとや」

控えめに問いかけるのどかと、答えをやんわりとはぐらかす木乃香。
二人の足音と会話が、廊下にこだまする。
しばらく歩いた後、振り返った木乃香はひとつのドアを指して言った。

「ここや。うちの部室、占い研究会」

木乃香の所属している部活は二つある。占い研究会と図書館探検部である。
図書館探検部の活動場所である図書館島から占い研究会の部室へと、木乃香の所属部活動を巡るかたちとなっていた。

「あの〜、ここで何をするんですか?」
「うん? きまっとるやないか。占いや」

終始ニコニコしていた木乃香だったが、のどかの問いかけに対し、待ってましたといわんばかりのとびきりの笑顔を見せて、部室の扉の鍵を外し始めた。

「え? ……占い?」




部屋の中は暗かった。
夕方という時間帯もあるが、なにより部屋の窓に暗幕のようなカーテンがかけられていたからだった。

「ささ、入ったってや」

のどかを促しながら、木乃香は部室へと足を踏み入れる。
出入り口から入る光と、図書館探検部で使用していたとおもわれる懐中電灯による光を頼みに、手馴れた様子で準備を進めていった。
カーテンと同じような、厚手の黒い布のかかった丸テーブル。その上にフォーク状の銀の燭台あり、三本のろうそくに次々に火を灯していく。

「ちょっと、着替えてくるから座って待っててな」
「あ、はい」

背もたれのない丸いパイプ椅子をテーブルにセッティングして、物珍しそうに部室を眺めているのどかに声をかけた後、木乃香は部屋の隅へ向かった。
衣料品店の試着室のように、ちょうどそこの一角だけカーテンで仕切られている。

「勢いでついてきちゃったけど、……占いって何をするんだろう?」

勧められたとおり椅子に腰掛け、カバンを足元に置く。
すると、のどかが一息つく間もなく部屋の隅のカーテンが開いた。

「おまたせー。さ、さっそくはじめよか」

出てきた木乃香の衣装でまず目を引くのは、つばの広い三角錐状の黒い帽子。いわゆる魔女のかぶる帽子が想像される。そして、帽子と同じ黒のローブ。
着替えるといっても、上から羽織る程度のことなのでそれほど時間がかからなかったのようだ。
最後に、ソフトボール大ほどもある水晶球が木乃香の両手に大事そうに抱えられていた。

「あのー、このかさん。占いのことなんですけど、……一体何を占うんですか?」

木乃香がテーブルの対面に座ったのを待って、のどかは今まで抱えてきた疑問をぶつける。
すると、あっさりとした答えが、あっさりと返ってきた。

「ネギ君」
「へ?」

急にネギの名前が出てきたことに一瞬当惑するもの、のどかの頭の中で次第に答えが導き出されていった。

「ネギ君のことで悩んでるいうたんは、のどかのほうやない。せやから、これからどうしたらええか、占いしてみるんよ」

その答えとは、まさに木乃香が話したとおり。
しばらく会話の途絶えた二人だったが、やがておずおずとのどかが口を開く。

「ありがとう……、このかさん」

その言葉を聞いた木乃香は、先程の笑顔とは違いやわらかく微笑んだ。

「うん。ほな、はじめよか」






「あたるも八卦あたらぬも八卦」とは言うものの、この占いによって導き出された結果は、二人を困惑させることとなる。
しかし、結果はどうあれ、のどかはこの占いを信じることにしたようだった。
学校からの帰り道、終始うつむきがちに考えるのどかだったが、その目は真剣そのものであった。




<第二話>

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