Shake!! 第三話


月曜日、放課後。

「はっ!!」

楓が目を覚ますと、教室は閑散としていた。というか誰もいない。
夕暮れの朱色のさした太陽が窓から窺える。
教室の時計を見ると、針は四時半をさしていた。

「…………?」

一瞬、自分に何が起こったか分からない様子の楓であったが、どうやら自分が放課後の誰もいない教室にいることだけは理解できた。
その経過、現状にいたるまでの出来事は、さっぱり分からない様子であったが。

「いつの間にこんな時間に……? と、こうしてはおれんでござる。さっそく『プリンシェイク』を買いにいかねば」

楓にとって、今日一日がいつの間にか終わっていたという事実は些細なことであった。
昨日の夜。いや、それよりも前。ビビッドピンクの自動販売機で出会ってから彼女の心の大半を占めていたのは、「プリンシェイク」といういまだ手にすることの叶わない飲み物のことであった。






ビビッドピンクは夕暮れの日差しを受け、いつにも増して目に優しくなかった。
広場には生徒の姿がほとんどない。
部活に所属している生徒は、それぞれの場所で活動にいそしんでいる時間であるし、また、部活や委員などの予定のない生徒は、もうすでに帰宅しているのがほとんどであった。
そんな広場の一角、ビビッドピンクの自動販売機の前に楓の姿があった。

「ふう。よし、今日はお金の準備もできているでござる。本当なら、授業が終わったあとすぐ来るつもりでござったが、いつの間にか眠りこけてしまっていたようでござる。だが、これでようやく念願の『プリンシェイク』を味わうことができるでござるな」

教室から広場まで一気に駆けてきた楓は、いよいよとなった目的を前に一息つく。そして、自分を落ち着けるように、手の中のがま口を確認した。

「では、いよいよ……」

楓ががま口を開けようとしたその時、こちらに近寄ってくる女子生徒の話し声がした。

「!」

楓は思わず、自動販売機の裏に身を隠した。別に見られてはいけないような、やましいことをしていたわけではない。
にもかかわらず、ほとんど反射的に穏行をなしていた。

「はて? 何故拙者は、このように身を隠しているのでござろう?」

自分自身の行動であったが、それが理解できていない楓であった。
しかしながら、いまさら自動販売機の裏側から出て行くのはバツが悪く、まして面識のない人物がそこにいた場合、目も当てられない。

「ねー。ホントにやるの? バツゲーム」

近寄ってきた声に注意を向けると、会話の内容が聞き取れた。
聞き覚えのある声である。そして、楓にとってさらに馴染み深い声がそれに答えた。

「ダメだよ、ゆーな。これはルールなんだから。それに、せっかくゆえから、ここの自動販売機のこと教えてもらったんだし」

バカピンクこと佐々木まき絵、そして会話の相手は明石裕奈ということが声から分かった。
他にも、二人分の気配を感じることから、和泉亜子と大河内アキラが同行していると思われた。

「く〜。まさかまき絵に負けるなんて〜。ね、どうしてもやらなきゃダメ?」
「だ〜め、おーじょーぎわが悪いよ? ゆーな。それに、もし逆の立場だったらどうする?」

会話の内容だけでは、その「バツゲーム」の内容までは分からないが、裕奈は諦めきれないといった感じであった。
しかし、まき絵らしからぬ鋭い切り返しに、裕奈は言葉が詰まる。

「ん……。逆の立場というと、私が勝って、まき絵がバツゲームってことだよね。それはもちろん、どんなに嫌がってもバツゲームを受けさせるに決まってるじゃない。…………あ」
「ゆーな、まき絵に口で負けてる。まんまと、引っかかっちゃてるし」

時すでに遅し。アキラの言葉どおり、裕奈はまき絵の仕掛けた罠にまんまと引っかかっていた。

「さ、ゆーな。覚悟を決めちゃってね」
「う〜、こうなれば一番被害の少なそうなのを選ぶしかないか」
「安心しい、何かあってもウチが介抱したる」

心を決めたらしい裕奈に、冗談とも本気ともとれる亜子の激励が贈られた。






「うわー、すご。何これ?」

ビビッドピンクの自動販売機。裕奈は改めてそのラインナップを確認し、重いため息をついた。

「うん、確かにすごいね。バツゲームじゃなかったら、絶対に飲まないようなジュースばっかり……」

バツゲームの内容を確認するように、裕奈の後ろに控えていたアキラが口にした。

「ふっふっふ。さ、ゆーな。どれでも好きなの選んじゃって」

勝者の余裕からか、まき絵は口元に邪悪な笑みを浮かべつつ、裕奈に対して尊大に選択肢を与えていた。
だがしかし、その選択肢はどれを選んだとしても、同じような結末しか招かないものばかりである。

「うう、どうしよう……。まさか、これほどとは思わなかったよ。亜子、何かいいのないかな?」

決断に窮した裕奈は、助けを求めすがるように隣にいた亜子に話しかける。それに対し、同じく商品を眺めていた亜子はそのうちのひとつを指差しながら答えた。

「ほんなら、これなんてどない?」
「えーっと、どれどれ? 『どろり濃厚ピーチ味』……。こ、これはちょっと。……なんていうか、世界が違う?」
「うぐぅ」
「何言ってるの? まき絵」



意味不明な会話がなされるものの、最終的に裕奈はひとつの答えを導きだした。
おもむろに自動販売機に硬貨を投入。

「こんちくしょー。こうなりゃヤケだ。ええい、キミに決めた!」

気合一喝。目をきつくつむり、適当にボタンを押した。
商品名を見ながらでは、その味がおぼろげながら想像できてしまい、決断をするのに躊躇をしてしまう。
また、自分で選んで後悔するよりも、多少運の要素を絡めたほうが自分に対して言い訳ができ気分的に楽、という判断だった。

「ちょ、そんな決め方でええの?」
「いいの。もう、どれを選んでも同じようなものだし、イヤなことはさっさと終わらせちゃったほうがいいでしょ」

体をかがめて、商品を取り出した裕奈は口にした言葉は、意外にも明るいものであった。

「お、『プリンシェイク』だって。ラッキー、案外マトモかも」
「ホントだ。これならちょっとおいしそうかも」

運を天に任せたような決め方であったが、その結果が思ったものよりもいい方向に出たので、裕奈の様子は先ほどとは打って変わり軽いものになっていた。
まき絵は当然、そんな裕奈の様子が面白くない。

「ふ、ふーんだ。まだ飲んでみなきゃ分からないんだから。この自動販売機にあるジュースなんだよ。味の保障はできないんだよ」
「はいはい、分かった分かった。それじゃ、バツゲーム行ってみよー」

立場が完全に逆転している。
まき絵の言葉に動揺する素振りを見せず、裕奈はプリンシェイクに取り掛かった。

「なになに? 『5回ふってね!』だって」
「ということは、この缶の中はまんまのプリンがはいっとるんかな?」
「そうかもしれない、結構面白いジュースだね」

和気藹々とした雰囲気に取り残された人物が一人。

「なんか楽しそう……。これ、ゆーなのバツゲームだったはずだよね……」

そして、もとから取り残されている人物が一人。

「『プリンシェイク』……。いったいどんな味でござるか……」






楓は、もう気が気ではなかった。
すぐ手に取ることのできる位置にいながらそれが出来ない。
昨日から求めてやまない「プリンシェイク」という飲み物が、はるか遠くに感じられた。

「――――四、五っと。よーし、一気にいっちゃうぞー」

自動販売機の向こうで、プルトップのふたが開けられる音がした。

「んっ、ぷはっ。―――うん、これ私、嫌いじゃない。少し甘ったるくて、変なのどごしだけど、なかなかいける味だにゃー」

裕奈の口から、味の感想が述べられる。

楓は、その一言一句を聞き漏らすまいと集中して耳をそばだてる。
そして、その一言一言を吟味しはじめた。

―――甘ったるいでござるか。それはそうでござろう。
―――甘くないプリンなどプリンではござらん。
―――それに、のどごしが変……。分かっておらんでござるな。
―――少々固形状のものが残っていなくてはプリンではござらん。
―――プリンの原液をそのまま飲んでもつまらないでござる。

楓が自分の世界に没頭している間にも、自動販売機の正面では少女達がプリンシェイク談義に花を咲かせていた。






「なんや、おいしそうやな。なぁ、ゆーな。ウチにも一口飲ましてくれへん?」

亜子からのお願いを聞いた裕奈だったが、よほど味が気に入ったのか素直に首を縦に振ることをしなかった。
その表情には、なにやら不穏な企みめいたものが浮かんでいた。

「ん〜? な〜に亜子。そんなに私と間接キスがしたいの?」
「な、なにゆーとるん? 女の子同士なんやから、そんなの普通やない。そない意地悪せんと、飲ましてくれてもええやん」

裕奈からの思いもよらぬ返答に、亜子の声は自然と声がうわずっていた。

「ゴメンね、亜子。いくら先輩にふられて寂しいからって、私じゃ亜子の気持ちにこたえることはできないよ。私、亜子のことは好きだけど、ノーマルでいたいから」

哀愁を帯びた表情で、酔っ払いのオヤジよろしくなセリフを吐く裕奈。

「ふられたって言うなー! ウチかてそない趣味あらへん。どーせ間接キスするなら、ゆーなよりアキラのほうがええわ!」

キレた勢いで、爆弾発言をする亜子。

「ちょ、亜子。急にそんなこと言われても……」

真に受けるアキラ。

「…………もう一本買えばいいじゃん、亜子」

そして、ふてくされた表情で冷静にツッコミを入れるまき絵。
普段とは違う役割ながらも、話がまとまってしまうあたりこの四人組はやはり仲がいいようだ。

「そ、そうやね。ウチとしたことが何焦っとるんやろ?」

照れ隠しのためか、亜子はそそくさと自動販売機に硬貨を投入し黙々とボタンに手をかける。
ところが、何度ボタンを押しても自動販売機は何の反応も示さない。

「あれ? 壊れてもうたん?」
「亜子。売り切れだって……」

普段の冷静さを取り戻したアキラが亜子に告げる。
亜子の人差し指の先には、「売り切れ」の赤い電灯表示があった。

「ええ〜! そんな〜! せっかくウチも飲もう思ったのに〜!」
「まあ、今度また買いにこようよ」

アキラに慰められ、渋々諦めかけた亜子であったが、残念ながら彼女達は二度とこの自動販売機で買い物をすることがなかった。

――――――っく!

突如、低くくぐもった声が亜子の耳を突く。

「ん? アキラ、今何か言うた?」
「え? 別に何も……」

何も言ってない。こう告げるはずだったアキラの口からは、ついにその言葉が出ることはなかった。

――――――っくぅぅぅぅ!

明らかに怒気を孕んだ唸り声が、今度はあたりに響く。

「ちょっと、まき絵。何よこれ? この自動販売機、何かやばいんじゃない?」
「えー!? 私に言われても知らないよー!」

突然の出来事に色を失う四人組。

――――――うぅぅぅりぃぃぃぃきぃぃぃぃれぇぇぇぇ!!

「きゃぁぁぁぁ!!」

非常識に響き渡った、恨みの篭った声が聞こえたとたん、蜘蛛の子を散らすように裕奈たちは逃げ出してしまった。






自動販売機の裏には、全身の力をなくしたかのような楓が、四つんばいの状態でたそがれていた。

「……売り切れとはっ! 拙者はこれだけを待ち望んで、今日この日を過ごしてきたでござるに!」

その「今日この日」の大半を、寝て過ごしていたという事実は、もはや忘却の彼方。
絶望と脱力感に襲われた楓は、しばらくその場を動くことができなかった。






「……帰るでござる」

日もとっぷり暮れたころ、ようやく楓は自らを奮い立たせ帰宅の途についた。
しかしながら、楓の顔には疲れの色がありありと見て取れる。いやむしろ、死相すら見えそうな表情であった。

果たして、楓に明日はあるのであろうか……。



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