たとえばこんな一日

第五話 着せ替え人形


「アイヤー、人がいっぱいいるアルな」

古菲が感想をこぼす。

「そうね、麻帆良とはまた違った賑わいのある街ね」

古菲の言葉を受けて、その隣にいる美砂も感想を紡ぐ。

雑踏。
人の話し声。
列車の音、車の音。
店から流れる流行歌、洋楽。

渋谷という街には、美砂の言葉どおり麻帆良とはまた違った賑わいがあった。
二人は電車を降り駅前に降り立つと、しばらく立ち尽くしていた。
美砂は今まで何度も訪れている場所であり、これからの予定を組み立てることに余念が無いのか、腕時計に目を落とし時刻の確認中である。
一方の古菲はといえば、あちこちに視線を飛ばしている。見るものすべてが新鮮で、目に映るあらゆるものに興味を引かれているような様子で、当初の目的である映画のことを忘れているようでもあった。

「さて、まずはくーちゃんのその服装を何とかしないと」

視線を腕時計から古菲へと戻した美砂が言う。
古菲の服装は、図書館島に潜った際に着ていたものと同じ中華っぽい、全体的にゆったりめの服だった。これはこれでマニア的な人気のある服装なのであるが、美砂から見ればアウトなのである。

「ん。映画を見に行くんじゃなかたアルか?」
「映画の上映時間よりも、くーちゃんのその、おしゃれへの関心の無さが心配よ。映画は午後からの時間帯のに変更しましょ」

そしておもむろに、美砂が古菲の両肩をつかみ自分のほうへ向きなおさせる。
突然のことに目を白黒させる古菲。

「ど、どうしたアルか? 美砂」
「任せておいて、くーちゃん。私があなたを一人前のレディにしてあげるわ。ホントなら一日じっくりといろんなお店を回りたいところだけど、今日はあんまり時間も無いことだし、あそこで手っ取り早く済ませましょ」

美砂の指差す先には、数字が三桁並んだ看板がトレードマークのショッピングモールがあった。






建物の中は多くの人で賑わっている。特に若い女性が中心で、二人が駅前で感じた雰囲気を何倍にも凝縮した賑やかさが、この建物の中を占めていた。
敷地内には所狭しと店舗が軒を連ね、その店舗には色とりどりの衣服、靴、アクセサリーなどが陳列され、客の目を楽しませている。

「う、なんだか、目が回てきたアルよ」

フロアに流れているBGMと雑踏とが交じり合った駅前よりも濃密な空気に中てられたのか、古菲はおぼつかない足取りになっていた。

「しっかりしてよ、くーちゃん。さ、まずは全体的なイメージを決めないとね。んー、そうね。ここはイメージを一新して、ちょっと女の子っぽくしてみようかしら」

美砂のほうはといえば、古菲とは逆に気持ちが昂ってきているようで、数ある商品と古菲とを交互に見てショッピングのプランを立て始めている。
古菲は何とか隙を見て逃げ出そうと試みるも、その腕を美砂にしっかりとつかまれていた。
よし。と、一言漏らし、古菲を引きずりながら行動を開始する美砂。どうやら、古菲改造プランがまとまったようである。
店内に流れる洋楽の有線とは裏腹に、古菲の頭の中では、荷馬車に乗せられた子牛が売られていくような曲が何度も何度もリフレインしていた。






「ふふっ。我ながら、上出来。すっごくかわいいわよ、くーちゃん」

約二時間後、同ショッピングモール内、八階エレベーターホール。
ひとしきり買い物を終えた美砂と古菲は、人ごみを避け、比較的静かな場所を求めてエレベーターホールへと足を運んでいた。建物の端のほうに位置するこの場所には、あまり人が近寄らない。客のほとんどは、フロア間の移動にエスカレーターを使用することが多いためだった。
美砂の顔には、達成感と満足感があふれている。
そして古菲の顔には、疲労感と恥ずかしさがありありと浮かんでいた。
それもそのはず、一階から順々に階を上りながらの買い物の最中、美砂からの要求で、試着すること三十八回。その内、過剰なボディコンタクトを受けた回数は二十七回にのぼる。
疲労の色を見せていて当然だった。
だが、古菲の表情よりももっと注目すべき点がある。それは、古菲の服装。

髪を結っていたポンポン付のゴムバンドは外され、まっすぐにおろされていた。そこへ、黒のカチューシャがアクセントとなっている。
視線を下へ。
白のキャミソールに黒地のジャケットを羽織り、白のプリーツスカートをはいている。ただし、丈はひざ上十五センチ。二連バックルのレザーベルトが異彩を放つ。
そして、さらに南下。
白のオーバーニーソックスとレザーブーツで締めくくり。

そんな古菲の様子を、何度も視線をパン・チルトさせながら、じっくりと値踏みするように見る美砂の顔には、いびつな笑みが見て取れた。

「何でもいいけど、どうしておヘソが出てるアルか?」

美砂の視線に耐えかねたのか、古菲が疑問を口にする。
そう。古菲の言葉どおり、身に着けているキャミソールの丈はちょうどおなかの上辺りまでしかなく、ジャケットもそれに合わせて非常に丈の短いものになっていた。

「何言ってるのよ! くーちゃんて言ったら、おヘソでしょ!」

美砂の一方的な、それ以上に意味不明な持論によって、古菲の意見は棄却の憂き目にあった。
古菲はただただ圧倒されるばかりで、美砂の持つ、測り知れない雰囲気に押されっぱなしになっていた。
おヘソまわりはともかくとして、古菲は改めて自分の服装を確認する。ジャケットやスカートなど、制服を抜きに考えると普段は絶対に着ないようなものばかりである。買い物の最中、美砂はしきりにイヤリングなどの装飾品を勧めていきたが、それらすべてを試着していたとすると、果たしてどれだけの時間がかかっていただろう。
ふと気がつくと、美砂が古菲の背後に立っていた。
おなかに両手を回している。

「な、何するアルか? 美砂」
「うっふふ、いいわー、くーちゃん。お肌すべすべねー」

ちょっとどころの騒ぎではない。今日の美砂は異常だ。
身の危険を感じ、両手両足をばたつかせこの場を逃れようともがく古菲だったが、事態は思いも寄らぬ方向へと急転した。

――ぐぅぅぅぅぅ。

エレベーターホールの時間が止まる。
最上階にいたエレベーターが地下一階にまで到達するくらいの時間が経っただろうか。

「ぷっ、くすくす。ふふっ、あははははっ」

あまりに唐突のことだったためか、美砂はとうとうこらえきれず笑い出してしまった。

「み、美砂。そんなに笑うことないアルよ」
「あはは、は。ご、ごめんごめん。でも、おっかしくって。くふふっ」

顔を赤くして抗議する古菲をよそに、美砂は笑い続けていた。地下一階にいたエレベーターが、最上階までの間を往復するくらいの時間。






その後二人は、そのまま最上階へと上がり古菲たっての希望で中華料理バイキングのお店へと入った。

「ねえ、くーちゃん。せっかく渋谷まで出てきたんだから、もうちょっとおしゃれなお店がよかったんじゃない?」

美砂は、古菲をいじり倒してしまったことに引け目を感じているのか、ランチの希望は古菲に任せることにしたのだが、まだあきらめきれない様子であった。

「私はもう疲れたアル。ささとお昼ご飯を食べて、映画を見に行くアルよ」

席に着くや否や、料理の置かれているコーナーへと一目散に駆け出した古菲。
疲れたという言葉とは裏腹に、両手のお皿に料理を山盛りにして帰ってきたその表情は活き活きとしていた。
ところが、である。料理を食べ始めた古菲の元気が急に無くなってしまった。何故かしきりに首をかしげている。

「どうしたの? くーちゃん。おなかでも痛いの」

美砂に体調について訊ねられるも、いまいち返答がぱっとしない。

「うーん、体の方は何も問題ないアル。ただ、この料理が……」

聞けば、料理の味について悩んでいるとのことだった。

確かに味はいいし、素材もいい。
ただ、いまいち満足できない。

そんな内容のことを、料理をぱくつきながら語った古菲に対し、美砂はその疑問の答えを言い当ててしまった。

「くーちゃん、それは仕方ないよ。そんじょそこらのお店が、五月の料理にかなうはずないじゃない」

いつの間にか舌が肥えてしまっていた古菲は、料理の味に満足できないまま、それでも最初の山盛り二皿分と同じ分量のおかわりをしたのだった。

「うーん、なんか納得いないアル」



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