たとえばこんな一日

第六話 チアリーダーの憤慨


「〜♪、♪〜♪〜」

麻帆良学園中等部女子学生寮のロビー。
ハルナはゴキゲンな様子で鼻歌を歌っている。
その手には、B6サイズのリングノート。しきりにペンを走らせている。
コンビニから戻った彼女は、再びロビーを見渡すことのできるソファーへと腰掛け、ネタ帳としているノートを開いていた。
気分転換が功を奏したのか、はたまた別の要因が絡んでいるのか、ハルナは軽快なハミングを口ずさみながら、同じく軽快にノートに書き込んでいる。
思いつきの単語。
動作を表す文。
セリフ。
そして、なにやら人物の特徴を示したイラスト。
ページの進むごとにネタ帳が埋まっていく。

「――」
「――――」

がやがやと、女子生徒の一団が通り過ぎて行った。
ふいに、ノートへと向けていた意識が途切れる。
玄関へと目を向ける外の様子を窺うと、日がだいぶ高いところにあるらしく、人や木の影が短い。
携帯電話の時計を確かめる。

「あれ? もう一時過ぎ」

作業に没頭するあまり、時間の経過を忘れてしまっていたようだ。
頭が現在の時刻を確認したことで、今度は体が時を知らせる。

「いいかげん、おなかが空いたわね。んー。お昼、何にしようかな」

ルームメイトの二人、夕映とのどかは外出中である。
伸びをして座りっぱなしの体をほぐしならが、ソファーから立ち上がる。
時間も時間だし、手早く済ませてしまおうか。などと考えていると、玄関からまた人影が近づいてきた。

「あれ? くぎみーじゃん。おかえりー、どこいってたの?」

その人影の正体は、ハルナのクラスメイトの一人、釘宮円だった。
円は両手に猫を運ぶ際に使うカゴをぶら下げており、いかにも「疲れた」といった表情を見せている。
果たして、実際に疲れていたようで、話すのも億劫といった様子だった。
視線だけハルナに向けて、自分を出迎える言葉に反応をする。

「………………くぎみー、言うな」

やっと話した言葉がそれかい。
ハルナは、おもわずツッコミが口から出そうになるのを必死でこらえる。
二つのカゴを足元に置いた円は、いままでハルナが座っていたソファーの隣に、両足を投げ出して倒れこむように座った。

「疲れた……」

円はしばらく落ち着くまでこのままだろう。
そう思ったハルナは、興味の惹かれるままカゴの中身をのぞこうと体をかがめた。

「わー、かわいいー、気持ちよさそうに寝てるよ。ねえ、猫なんか連れてどこ行ってたの?」
「……病院」

猫の愛くるしい姿をみたハルナは、やや興奮気味に問いかけるが、円はぶっきらぼうに答えるだけ。

「ふーん。あ、ねえねえ、この子たち名前はなんていうんだっけ」
「……クッキとビッケ」
「へえ、かわいい名前ね。確か、部屋で飼ってるんだよね」
「……そう」
「てことは、この子達はくぎみーの飼い猫?」
「くぎみーって言うな」
「…………」
「……ちがう、桜子の――」

どうやら質問に答えることよりも、くぎみーというあだ名を否定することのほうが、重要度が高いらしい。
そんなことを思っていたハルナだったが、くぎみー、もとい円の様子がおかしいことに気がついた。なにやら体全体が小刻みに震えている。

「――何で?」
「え?」

今まで質問をする側にいたハルナだったが、急に問いかけられたことに動揺する。

「何で! 私が! 桜子の猫を! 病院に連れてったりしてるのよ!!」

円は急に立ち上がるや否や、ハルナの襟首をつかんで締め上げる。
あまりにも突然の円の豹変振りに、事態を飲み込めずなすがままにされるハルナ。ようやく、首を絞められていることによる苦しさを感じ始めだしたころ、またもや急に、今度は重力による自由落下と、臀部の痛みを感じた。
つまり、手を離されて尻餅をついたわけである。

「あたた。っもう、ちょっと――」
「私の貴重な日曜日の午前中を返せー!」

バカヤロー、と夕日に向かって叫ぶポーズ。学ランを着て波打ち際でやっていればさぞ様になったであろう。しかしながら、ここは女子寮のロビー、円の事情を知らない人間の方が多い。我に帰った円は、恥ずかしさのため少し顔を赤くしてそのままソファーに崩れ落ちた。
そんな円を不憫に思ってか、尻餅をつかされたにもかかわらず、ハルナは円に話しかけた。

「まあまあ、過ぎちゃったことはしょうがないじゃない。一緒にお昼でもどう? どうせその様子じゃまだでしょ? 私もこれからだし」
「う、うん。私もこれからお昼にしようかと思ってたところだけど……」

バツが悪いのか頭をかく素振り。そして、再び口を開く。

「よし! そうね、いつまでもくさくさしてても面白くないし。ここで待ってて、この子たちを部屋に置いてきちゃうから」

円は立ち上がり、カゴを手に持った。その表情には、それまでの曇った様子は無く、いい具合に力の抜けた柔らかなものがあった。




「猫。……動物か……」

円が寮の自室へ向かった後、ロビーには、ネタ帳を開きなにやら書き込みをしているハルナの姿があった。



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