たとえばこんな一日

第九話 ただいま


日が傾き、西の空が茜色に染まり始めたころ。
麻帆良学園中等部女子学生寮のロビーに、ノート相手に格闘をしている一人の女子生徒の姿があった。
誰あろう、早乙女ハルナである。
ロビーには夕方という時間帯もあって、出かけていたと思われる女子生徒の姿がちらほらと見受けられた。

「きたきたー! いい感じ」

遅いランチの後、三度ロビーに陣取ったハルナは、そのあと延々とアイディア絞りに奮闘していた。
だが、それも終わりに近づいているらしく、作品の形が見えてきていた。今はまとめの作業をしている。

「――ふ」

ふいに、ハルナの動きが止まる。

「ふふ、ふはは、あははははは」

突然、ソファーから立ち上がり高らかに笑い声を上げるハルナ。
正直怖い。周囲にいた女子生徒たちは、その得体の知れぬ恐怖に対し逃げるという選択肢しか持ち合わせていなかった。
歴戦の傭兵すら退けるプレッシャーを、どうして普通の女子中学生が耐えられようか。

「よし! 会心の出来だわ。一日つぶした甲斐があったわね」

再びソファーに腰掛け、ノートを最初のページから繰り始める。
単語の羅列。
箇条書きの文章。
殴り書きのスケッチ。
そして、ストーリーの概略が書かれたページまで達したとき、ハルナの手が止まった。

「猫や犬、小鳥などの小動物を愛する女の子。普段は神社に住み込みで巫女さんのバイトをしているが、彼女には裏の顔があった! 彼女はかつて、世界を渡り歩いた名の通ったゴーストハンター。そして今夜も銃を手に戦いにおもむく!」

いったん息を継ぐ。

「タイトルはズバリ! 『ゴーストハンター マナ』!」

ノートを高く突き上げ、タイトルコールをするハルナ。

一体どこで見てきたんだ?
何だ、そのネーミングは?
ていうか、真名の名前そのままじゃないか?

いろいろと突っ込むべきことは多々あるが、まず何より突っ込まなければならないことがある。

「何を一人でそんなに騒いでいるですか? ハルナ」

周りの生徒たちがおびえる中、冷静にかつ的確にツッコミをいれる声があった。
いつの間にかまた立ち上がっていたハルナはその声に振り向く。

「あ、ゆえ。のどか。おかえりー」
「はい、ただいまです。それとハルナ、あまり目立つ行動は避けてほしいです」
「ただいまー、ハルナ。その様子だといいアイディアが出たみたいだね」

ハルナの暴走を止めたのは、夕映だった。そしてその隣にはかすかに苦笑を浮かべるのどかがいた。
二人はちょうど今帰ってきたところらしく、手にはそれぞれ手提げのついた紙袋をぶら下げていた。

「あっはっは。ありがと、のどか。今回の本は、かなり面白くなるわよ。期待しててね。で、そっちはどうだったの? 掘り出し物は見つかった?」

ハルナは二人の持つ荷物に目が留まったらしく、買い物の収穫をたずねた。

「うん、ずっと探してた絶版になった小説が見つかったの。今日、さっそく読んでみる」
「さすがは日本一の古書店街ですね。図書館島でも見つからなかった本が見つかったです。まさに掘り出し物ですね」

普段無表情な夕映も、このときばかりはうれしそうな表情を見せていた。手に入れた本がどのようなものなのかは、推して知るべしと言ったところだろうが。

「二人とも、ご飯はどうする? 今日はずっとここにいたから、買い物もしてないし。私は地下の食堂で済ませちゃおうかと思ってるんだけど」

ハルナに問いかけられた夕映とのどかは、少し言葉を交わしたあと質問に答えた。

「ハルナには申し訳ありませんが、先に汗を流そうかと思うです」
「部屋に荷物を置いてそのままお風呂に行くけど、ハルナはどうするの?」

のどかに一緒にお風呂へと誘われたハルナだったが、後から一人で入るからと二人を促した。理由は、もう少しアイディアをまとめることに集中したいことと、眠気覚ましがてら風呂に入るつもりだということだと説明する。

「私もしばらくしたら地下食堂に行くから、そこで合流しましょ」

ハルナの言葉を受けて、二人はエレベータへと向かった。

「だーまーさーれーたー。カッパなんかいないじゃない」

二人の後姿が見えなくなり、ハルナがソファーに腰掛けるや否や素っ頓狂な声が聞こえてきた。隣のソファーにうなだれるように腰掛ける明日菜からだった。

「あれ、アスナ。おかえりー」
「ああ、パルか……。ただいま」

よほど疲れていたのだろう。ロビーに入ってソファーを見つけて倒れこむように座ったら、そこがたまたまハルナの隣だった。ハルナのことも、声をかけられてようやく気がついたようであり、明日菜の疲労困憊さ加減が窺える。

「カッパがいないなんて、そんなことないネ。街中のいろいろなところで見かけたヨ」

明日菜の悲痛な叫びを否定するかのような言葉は、遅れて戻ってきた超からだった。隣にはネギの姿もある。

「チャオ、ネギ君。おかえりー」
「あい、ただいまネ」
「ただいま帰りました。パルさん」

明日菜とは打って変わって、こちらの二人は元気そのものである。ハルナと和やかに挨拶を交わすそんな二人の様子がおもしろくないのか、明日菜が横から口を挟んできた。

「カッパって言ったって、あんなの本物のカッパじゃないじゃない。確かにお店の軒下とかいろんなところで見かけたけど……。私は本物のカッパが見れると思ってたのにー。あー、もー。つーかーれーたー」

明日菜は足を投げ出してバタバタさせながら愚痴をこぼす。まるで駄々っ子である。
そんな明日菜の様子を見て、ハルナは思った。

――やっぱり、本当にカッパがいるって思ってたのね。こりゃいよいよ……。

本気で明日菜を心配している。
明日菜本人は、ファンタジー世界に両足突っ込んでしまっている自覚がない。ハルナにこのように心配されても無理はなかった。
そんな明日菜をファンタジー世界に引っ張り込んだ張本人、ネギが明日菜をなだめる。

「まあまあ、アスナさん。アスナさんだって結構楽しんでたじゃないですか。僕は、いろいろなお店が見れてとても楽しかったですよ」
「う、まあ確かに、珍しいものが見れたのは、私も楽しかったけど――」

純粋な子供の意見に明日菜が折れようとした矢先、超が要らぬ追い討ちをかけた。

「そうネ、なんだかんだ言ても、楽しんでたネ。かわいらしいお菓子の型抜きを一生懸命見てたヨ」
「ギャー! それは言わないで!!」

超の口をふさごうと立ち上がる明日菜だったが、ソファーにその証拠である手提げビニール袋に入った商品があってはどうしようもない。
ちゃっかり買い物をしていた明日菜と、その明日菜を茶化す超のやり取りを見ながら、ハルナはネギに問いかけた。

「ねえ、ネギ君。そういえばさっちゃんは?」

ハルナは、コンビニで見かけたときに三人以外にもう一人、四葉五月の姿があったのを思い出した。

「四葉さんでしたら、今日買出しした商品をお店のほうに置いて来ると言ってました」
「あ、なるほど。……ねえ、一応聞いておくんだけど、『カッパ』って、『かっぱ橋』のことよね?」
「はい、『合羽橋道具街』って言うんですね。僕、あんな商店街があるなんてはじめて知りました」

合羽橋道具街。
東京都台東区にある、料理器具、厨房器具、飲食店器具など取り扱う一大専門店街である。
なべや包丁以外にも、飲食店のサンプルや看板、のぼりまで、こと料理に関する器具であればここですべてそろえられるという、日本でも珍しい街である。

「んー、やっぱりそっかー。ネギ君、いい経験したね」
「はい。いい勉強になりました」
「でも、その近くにはもっとすごい街があるのよ」
「え? かっぱ橋よりすごい街ですか?」

ハルナの思わせぶりな発言に、まんまと乗ってくるネギ。
メガネのブリッジを中指で押さえ、ニタリと妖しい笑みを浮かべるハルナ。レンズを光らすことも忘れない。

「その街の名は『アキハバラ』。もはや世界的に有名な言わずと知れた街ね」

秋葉原。
東京都千代田区にある、電機機器、家電、パソコンなどを取り扱う一大電気街である。
上に挙げた商品以外にも、書籍や音楽映像ソフト、キャンプ用品、すだれ、食器、、武器、同人誌、コスプレ衣装、果ては等身大フィギュアなどが手に入る、もうなんだかよくわからない街である。

「そ、そんな……。そんなにすごい街があるのですか。世界的に有名だなんて、僕ぜんぜん知りませんでした……」

愕然とうなだれるネギ、力なくその場に両手、両膝をついた。
そんなネギの肩に、そっと手を置くハルナ。

「ネギ君、無知は罪ではないわ。むしろ、無知であることを知って、それを改めようとしないことが罪なのよ」
「パルさん……」

救いの手を差し伸べられた、迷える子羊のような目でハルナを見上げるネギ。
だが、その導き手たるハルナは聖職者などではなくむしろ、ネギが人の道を踏み外さんと画策する悪魔のような存在だった。

「だから、今度。私と一緒にアキハバラに行こ」
「はい。喜んで」
「はい。喜んで、じゃ、なぁぁぁいっ!」

気合とともに放った明日菜の一撃は、獲物がハリセンだということ忘れさせるような強烈なものだった。
慣性の法則にしたがって、しばらくロビーの床を滑走するハルナとネギ。

「ちょっと、パル! ネギを変な道に引っ張り込まないでちょうだい!」
「さすがにそれは、私も承服しかねるネ」

衝撃の凄さを物語るかのような煙の上がるハリセンを片手に、突き出した人差し指で二人を威圧する明日菜。
その隣で腕を組み、少し険しい表情の超。
いつの間にか言い争いをやめていた二人が、悪魔のささやきにそそのかされようとするネギを救ったのであった。

「あたた……。ごめんごめん、ちょっと調子に乗りすぎちゃった」
「あうう、何で僕まで……」

張り倒された二人は、両極端なリアクションをしながらゆっくりと立ち上がる。

「さ、いつまでもバカなことやってないで、さっさと部屋に戻りましょ」
「そうネ、私もお風呂に入りたいしネ」

明日菜と超に促され、ネギも二人について部屋へと戻っていった。

「あーあ、せっかくネギ君をこっちに引っ張り込むチャンスだったんだけどなぁ」

まだあきらめきれない様子のハルナは、またソファーに腰掛ける。

「あ! 早乙女、くーちゃん見なかった?」

ハルナが落ち着く間もなく声がかけられる。振り向くとそこには美砂がいた。

「今度はアンタか。おかえり、柿崎」
「あ、うん。ただいま。って、そんなことしてる場合じゃないの! ね、くーちゃん見なかった?」

美砂は息が上がっていた。どうやら走ってここまで戻ってきたようだった。
美砂が言うには、古菲とっしょに出かけていたが途中ではぐれてしまったとのこと。
二人が一緒に出かけたのは、ハルナも今朝ロビーで確認をしていた。

「昼過ぎからずっとここにいたけど、くーちゃんは見てないよ」
「おっかしいなあ、先に帰っちゃったはずなのに……」

首をひねる美砂に対し、ハルナはなるべく安心をさせるような気配りをした。

「ま、くーちゃんに限って、チカンに襲われるようなことはないでしょ」
「うん。その場合、逆にチカンが心配ね」

二人の神妙な面持ちにもかかわらず会話の内容はいたって能天気なものだった、これは古菲に対する信頼の表れでもあるのだろう。
とりあえず連絡を待ってみると言って、美砂は部屋へと戻っていった。

「さて、そろそろ夕食にしようかな。っと、そういえば。……龍宮さん、まだ戻ってこないわね」

つぶやきながら、ハルナは地下食堂へと向かった。



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