たとえばこんな一日

第十話 狙撃手の空腹


黄昏時の麻帆良学園食堂棟は賑わいを見せていた。
食欲を満たすため、舌と胃袋を満足させるため、なにより食事を楽しむため。麻帆良に住まう学生、生徒、関係者などがこの食堂棟へと押し寄せていた。
そんなにぎやかな雑踏の中を真名が歩く。
男物のワイシャツと肩に担いだギターケースが人目を誘うため、すれ違う人の大半は彼女に視線を送っていた。

「寮に戻る前に食事を済ませてしまおうかと思ったが、なかなかの混み具合だな」

そんな人々の視線などなかったかのように真名は歩き続ける。
声にこそ出していたが、彼女の目的は食堂棟に集まっている飲食店ではない。
この食堂棟には、洋の東西を問わず様々な料理を扱う飲食店が軒を連ねている。麻帆良の住人は学園都市から出ることなく、世界各国の料理を味わうことができるのだ。
そんな恵まれた環境にもかかわらず、真名は店に見向きもせずただ黙々と歩くのみだった。

「ん? あれは……」

ところが、視界の隅に気になるものを捉えたため若干歩みを遅くし、そちらへと注意を向けた。
視線の先には見知った二人の顔があった。
桜咲刹那と近衛木乃香。
二人は腕を組んで歩いていた。木乃香は満面の笑みを浮かべている。
刹那も笑っていたが、その笑顔は心からのものではなかった。別段刹那がこの状況を楽しんでいないわけではない。ただ、緊張しているのだ。
修学旅行以降、二人の仲は急速に接近したが、刹那のほうは今までの「癖」が抜けきっていないようだ。
木乃香は関西呪術協会の長の娘。刹那はその木乃香を守る神鳴流剣士。
立場の違いもある。刹那のぎこちない、それでいて煮え切らない態度はここに起因しているかもしれなかった。

「…………」

いつの間にか真名の足が止まっていた。
視線の先には、二人の姿。
人ごみの中で見え隠れしていた二人の姿はやがて、食堂棟の建物へと消えていった。
おおよそ、デートの締めくくりのディナーというところだろう。

「ふ……。いい顔を見せるようになったじゃないか、刹那」

真名と刹那は、たまに今日のような仕事を一緒にする仲である。いざ敵を前にすれば、刹那は全力でもってそれを排除する。
その様は、まるで研ぎ澄まされた白刃。剣士たる刹那にふさわしい雰囲気をまとう。
修学旅行以前の刹那は、戦場でなくとも常に抜き身の刃のような気配を漂わせていた。
だが、今日の彼女はどうだろう。普段の刹那を知る真名からすれば、今日の刹那は別人に見えたに違いない。



やがて真名は目的地にたどり着いた。
食堂棟の一角。やや開けた場所に路面電車の形をした屋台形式の店舗があった。
店の名前は「超包子」(ちゃおぱおず)。
「超」の名を冠していることから分かるように、この店は真名のクラスメイト、超鈴音が経営している。
ところが、今日は様子がいつもと違っていた。
普段であれば、路面電車型の店舗の前にテーブルとイスが設けられ、そこに超包子自慢の中華料理を求めて、多くの客が押し寄せていた。
しかし、今日は店舗の明かりが落ちており、テーブルもイスも設置されていない。したがって、料理を目当てにした客の姿も無かった。

「休みか……」

声に出した途端、真名は軽い脱力感に襲われた。

今日は何をやってもうまくいかない。
出掛けに、一般人のはずのクラスメイトに気圧される。
仕事の途中で、服をお釈迦にされる。
食事をしようとすれば、目的の店は休業日。

「天中殺というやつか……」

ため息とともに、力なくギターケースをその場におろした。
それと同時に、路面電車から慌てた様子で降りてくる人影があった。

「ん? 四葉。どうしたんだ?」

その人影は真名のクラスメイト、四葉五月であった。
彼女は超包子の料理人で、その料理の腕は数多くの常連客を作るほどであった。また、彼女の待つおおらかな人柄に惚れて来店する客も少なくない。

「あ、龍宮さん。ごめんなさい、今日はお休みなんです」

心優しい彼女は、食事を目当てで来店したと思われる真名に対し、まず店の人間として謝罪をした。

「いや、別にいいさ。それより、何かあったのか? ずいぶん慌てているようだが」

真名としては、超包子が営業をしていなかったことよりも、普段から何事にも動じない様子の五月がひどく急いでいることのほうが気にかかっていた。

「それが……、大事なものがなくなってしまって……」

不安げな表情を見せる五月。

「物盗りか? 物騒だな。何か手伝おうか」
「いえ、泥棒とかじゃないです。鍵が壊されたりしてませんでしたから」

真名は口に出してから、自分の言葉に違和感を覚えた。
自分から進んで他人の手伝いを買って出ようとした。労働と報酬は対価でなければいけない。無償労働など、自分のやるべきことではない。
いや、もし手伝ったとしても食事を振舞ってもらえれば、それは労働に見合った対価となりえないだろうか。

――違う。やはり、今日は何か調子がおかしい。
――こんな一日があるのだったら、早いところ過ぎ去ってほしいものだ。

「龍宮さんはあまり気にしないでください。だれかスタッフが持ち出したのかもしれませんし、とりあえず葉加瀬の所へ行ってみるつもりです」

急にふさぎこんでしまった真名に対し、五月は深く立ち入ることもなく優しく声をかける。
そして、そのまま駅の方へと駆け出していった。

「詳しいことは明日にでも分かるか……」

五月を見送りながらつぶやく真名だったが、ふと我に返り自分自身の空腹に改めて気がつく。

「いつまでもここにいても仕方がない。寮の地下食堂で手早く済ませてしまおう」

ギターケースを担ぎなおし、超包子を振り向くことなく足早に歩き出していった。



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