たとえばこんな一日

第十一話 暴走


大浴場「涼風」。
麻帆良学園女子学生寮の三階に位置する、生徒たちの癒しの場。今日も一日の疲れを汗とともに流すべく、女子生徒たちが集っていた。
とはいえ、まだ時間は夕食時。早めにお風呂に入ろうとする生徒はほとんどいない。しかしそれでも、女三人寄ればなんとやら。脱衣所では年頃の女の子特有の嬌声にも似た会話が繰り広げられている。

「で、結局くーちゃんと出かけたんだ?」

風呂上りの火照った体を冷ましながら、円が問いかけた。

「うん。ショッピングしてランチして、それから映画を観たところまでは一緒だったんだけど……」

答える美砂の表情は晴れない。なぜならば、一緒に出かけた友人の古菲と途中ではぐれてしまったからだ。
その古菲は未だ寮に帰ってきていない。

「ふーん。ま、そのうち帰って来るでしょ。けど、何でくーちゃんを誘ったの? 美砂とくーちゃんの組み合わせって、結構珍しい気がするんだけど」
「いや、くーちゃんが暇そうにしてたから、つい。本当はアスナを誘うつもりだったんだけどね。なんか出かけちゃってたみたいだったから」

急に話を振られて、二人を振り向く明日菜。
Tシャツに首を通し、ツインテールを両手でかき上げるようにして襟から出す。

「えー、そうだったの? なんだ、それなら柿崎のほうがよかったかも。今日は超さんにそそのかされて、散々だったのに……」

がっくりと肩を落とし力なくうなだれる明日菜を心配するかのように、隣で着替えをしていたのどかが声をかけた。

「ネギせんせーと超さんと四葉さんとで、お出かけだったんですよね? 超さんと四葉さんは一緒じゃないんですか?」
「超さんはなんか先に片付ける仕事があるからって、部屋にこもっちゃった。さっちゃんはお店のほうに行ってるわ」

寮に帰ってきた時間帯は違ったが、外から帰ってきて体の疲れを洗い流したいと思うのは一緒。大浴場で合流した面々はそのまま和気あいあいと入浴を楽しんだのだった。
話しながらであったが着替えはとうに終わっている。しかし、話は弾んだままだった。
このままもう少しおしゃべりを楽しみたいという気持ちもあったが、このまま湯冷めするのも利口とはいえない。

「みなさん、そろそろ部屋へ戻るです」

風呂上がりの一杯を済ませた夕映がみんなの重い腰を上げさせた。



「あれ? あそこで寝てるの史伽じゃない?」

美砂が前方を指差しながら声を上げる。
美砂の指し示す方向に目を向ければ、その言葉どおり、彼女たちのクラスメイトの一人、鳴滝史伽があお向けに倒れていた。
倒れている史伽に近づくにつれ、一行の足並みは早足から小走りへと変化した。ただならぬ雰囲気を察したためだ。

「ちょっと、史伽。大丈夫? しっかりして」

美砂がその小さな体を起こし、頬をたたいて反応を窺うが、史伽は目を覚まさない。
注意深く様子を観察すると、顔が赤く呼吸が荒い。
そして何より、酒臭い。

「ねえ、もしかして酔いつぶれて寝てるだけ?」

一同を代表する形で、疑問を口にする明日菜。
その問いかけに答えるかのように、廊下の先からうめき声が聞こえてきた。

「……うう、明日菜。みんな……」

春日美空。彼女も明日菜たち一行のクラスメイトの一人である。
美空は息も切れ切れに、壁に手をついて一歩一歩辛そうに歩いてくる。非常に苦しそうな表情をしていた。
背中に史伽と同じく酔いつぶれていると思われる、史伽の双子の姉、鳴滝風香を背負っている。

「美空ちゃん!」

明日菜が駆け寄り、美空の体を支えた。
後ろから円も近寄り、風香の体を抱きかかえた。
その様子を見て緊張の糸が解けたのか、美空はその場に崩れ落ちる。

「美空ちゃん。一体何があったの?」

美空に問いかける明日菜だったが、美空の顔も赤い。目の焦点の定まっていなかった。
それでも、美空は明日菜に伝える。

「……くーちゃんに……気を……つけて……」

がくり。
最後の気力を振り絞りそこまで言い終えると、美空はそのまま事切れてしまった。

「美空ちゃん! そんな、いったい何が……」
「ア、アスナさん……。あれ……」

背後からのどかの声が聞こえた。その声は恐怖によるものか、震えている。
のどかを振り向いた明日菜だったが、のどかが震えながら指差すのを見て、視線をそちらへ向ける。
美空が歩いてきた方向。
そこには、見覚えのない人物がいた。
いや、本当は明日菜のよく知る人物である。
ただ、普段ではあまり見かけない服装をしていたため、明日菜にはすぐにわからなかった。

「くーちゃん!」

そう、美砂の声が聞こえるまで、にわかにその人物が古菲であることに、明日菜は気がつけないでいた。

「え? くーふぇ? あれが?」

明日菜の驚くのはもっともだろう。いや、明日菜だけではない。円や夕映、のどかもその人物が古菲だとはすぐには分からなかった。
まず髪を下ろしていたこと、そしてジャケットとミニスカートという、普段の古菲からは考えられない服装をしていたことが、古菲かどうかの判断を鈍らせていた。
彼女が古菲だということにいち早く気がついたのは、コーディネイトをした張本人。美砂だけだった。

「美砂……。ようやく見つけたアル……ひっく」

古菲の様子がおかしい。普段と違う格好というのもあるが、さらにその腰に大量のひょうたんをくくりつけている。そして何より、誰の目にも明らかなくらい酔っ払っていた。
右手に、腰につけているのと同じひょうたんを持っている。

「くーふぇ! 一体何やってんのよ。美空ちゃんたちに何を飲ませたの?」
「超包子特製の紹興酒アル。大丈夫、とてもおいしいアル」
「ちっとも大丈夫じゃない! お酒なんか飲ませちゃダメでしょ」
「無問題アル。ちゃんとザラメを入れて甘くしてるアル」
「そういう問題じゃなぁぁぁぁぁぁい!!」

なんとなくかみ合っていない会話のせいで明日菜がもう少しでキレかかりそうになったとき、暴走している古菲を止めるべく一人の人物が間に割って入ってきた。

「くーふぇさん!」
「ム。ネギ坊主アルか……ひっく」

事態の異変を察知して部屋を出てきたと思われるネギは、明らかに怒っていた。
古菲がお酒を飲んでいることに怒っているのではない。ネギが怒っているのは、古菲が他のクラスメイトに無理やりお酒を飲ませていることに他ならなかった。

「やっていいことと悪いことがあります。いくら古老師でも、怒りますよ」
「お? 弟子が師匠にたてつく気アルか?」

先ほどの明日菜との問答でもそうだったが、今の古菲には正論はまったく効かない。反論を仕掛けてこない念仏を聞いているだけの馬のほうがはるかにマシである。

「師匠とか弟子とか、今はそんな話をしているんじゃありません」
「善き哉、善き哉。弟子はいずれ師を乗り越えるものアル。ネギ坊主、この私を止めたくば、力ずくでかかってくるアル」

明日菜の胸にいやな予感がよぎる。
往々にしてネギは、こういった挑発に弱い。特に今は、自分自身が強くなるための修行の最中である。
師である古菲からこのような言葉受ければ、挑まないほうがおかしい。

「……わかりました、古老師。僕があなたを止めてみせます」
「ちょっと、ネギ」
「任せてください、アスナさん。いくら古老師が達人とはいえ、あんなに酔っ払っている状態じゃ、力を出し切れるとは思えません」

ネギの考えは、一般的に見れば正しいだろう。
しかし、今回は相手が悪かった。相手は中国拳法の天才である。
自分の専門としない「八極拳」をネギに仕込み、実践で使えるまでに鍛えた人物である。
たとえ酒に酔った状態でも、中国拳法と名の付くものであれば意のままである。まして、今回は人に教えるのではない。自らが体現するとなれば、その完成度たるや想像に難くない。



「はぁ、はぁ……くっ」

息を荒げていたネギが苦痛に顔をゆがめる。
敵である古菲の姿は見えない。あたり一面に広がる湯気が視界を遮っているせいだ。

「どうしたアルか? ネギ坊主。私にまだ、一発も当てられてないアルよ……ひっく」

どこからか古菲の声がする。
しかし、大浴場の特性か、声がこだましてその位置を特定できない。

「ネギ! 大丈夫!?」
「ネギせんせー!」

古菲とは別の声がする。
ネギを心配してついてきた生徒だろう。しかし、同じく声から位置が特定できない。
ネギはあせっていた。自分の当てが外れたからだ。
古菲が酒に酔っているのは確かだ。しかし、彼女の技のキレが鈍ることはない。むしろ遠慮がない分威力が増している。
加えて、ネギの見たことのない技が時折混じる。トリッキーな動きの中に鋭さと力強さのある動き。喉笛を狙ってくる一撃があるのも、ネギの動揺を誘う一因となっていた。
結果としてネギは防戦を強いられ、気がつけば大浴場「涼風」まで追い込まれていた。

「あ、いた! ネギ君!」

湯気が一時的に晴れ、美砂がネギをその視界の捉えた。
ちょうど大浴場の中心部にいるネギと、入り口付近にいる美砂たちとの直線上に湯気が無くなった形だ。しかし、美砂たちのいる場所から古菲の姿が見えない。

「ネギー! ちょっと、アンタ大丈夫なの?」

ネギはすぐには明日菜の呼びかけに答えなかった。古菲の姿が見ない以上、油断するわけにはいかない。
しかし、それでも心配をしてくれているみんなのために、なんとか自分の無事を伝えようと明日菜たちのほうに向き直る。

「ネギせんせー! うしろー!」

一瞬だった。
ネギには後ろを振り向き相手を確認する時間もなかった。
背後から伸ばされた手はネギのあごを掴み、その強力な握力でもって無理やり口をこじ開ける。
そしてもう一方の手には、栓の抜かれたひょうたん。

「もごぉ!」

ネギのくぐもった悲鳴を最後に、湯気が再び辺りを覆う。
状況の確認ができなくなった明日菜たちは気が気ではない。各々がネギに呼びかけるが、返事は返ってこなかった。みんなの表情が険しくなる。
ところが、湯気の向こうに人影が見えると一様にほっとした表情になった。

「もう、ネギ。心配かけるんじゃないわよ。大丈夫――」

――大丈夫なの?
そう続くはずだった明日菜の言葉は、最後まで発せられることがなかった。
水蒸気でできた白い煙の向こうから現れた人物を見て、息を呑む。

「くーふぇ」
「くーちゃん」

再び視界が晴れる。
古菲の後ろにネギが倒れているのが見えた。その脇に、ひょうたんが転がっている。

「さ、美砂。次は美砂の番アル」

ひょうたんを手にしたイエローサイクロンは、次の標的に向かって死刑宣告を行った。



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