ずっと、そばに 第三話


「シュールストレミング。スウェーデンの食べ物で、ニシンを塩漬けにしたものをさらに缶詰にしたものです。缶の中で発酵が進みガスが発生するため、缶が膨れているのが見た目の特徴です。しかし、このシュールストレミング最大の特徴といえば、その『臭い』に他なりません。日本発祥の『くさや』など足元にも及ばない強烈な臭いを放つことで有名です。そのため……」
「どしたの? 夕映。冷蔵庫なんかに話しかけて……」
「いえ、何でもありません」

「搾りたて! ネギカルピス」を味わいながら、冷蔵庫に向けて切々と語りかける夕映に、ハルナが声をかける。
仏頂面の夕映が振り向いたのを合図に、のどかが二人に対し提案をした。

「それじゃ、そろそろお弁当の献立お決めていこうと思うんだけど――」
「のどか、すいません。その前にひとついいですか?」

ジュースのパックから片手を離し、軽く上げる。のどかは特に何も言わず夕映が続けるのを待っていた。その沈黙を肯定ととったのか、夕映はハルナのほうへ振り返り話を続けた。

「ハルナ。まずはその危険物をどこかへしまってください」
「危険物とはお言葉ね。これでも暦とした食べ物よ」

話題が再び缶詰に戻ってしまったことに、のどかは心中で軽く溜息をつく。
しかし、夕映がこの缶詰についてどんなものかを理解しているらしいことと、さらに危険と断じていること。
これらの理由から、のどかとしても、この缶詰に関して先に決着をつけておくべきと考えた。

「聞けばこの缶詰、本場スウェーデンでは、川原など屋外で開封して食べているそうです。それほどまでに臭いの強いものを、おいそれと開けるわけにはいかないです」
「屋外。川原ね……。ははっ、まるで花火のノリね」
「その花火を、この部屋の中でぶっ放そうとしていたのは、ドコのドイツですか!?」

おでこを光らせて迫る夕映の勢いをかわしきれなくなったのか、ハルナは両手を上げ降参のポーズをとった。

「あー、もう。分かった分かった。これはとりあえずしまっておく。今回のお弁当にも入れないから。これで、いい?」

ハルナが折れたことにより、夕映も追及の手を止めた。
ようやく話が一段楽した安堵感から、のどかは肩から重荷が下りる心地がした。そして、話を戻そうと、再び二人に先程の話の続きを持ちかける。

「それじゃ、お弁当の献立を――」
「この缶詰、あとで双子にでもあげるとするか……」

哲学書によるセカンドインパクトがハルナを襲ったのは、ハルナが言葉を終えるか否かのタイミングだった。






「でさ、のどか。結局、献立は決まったの?」

おでこに貼られたバツの字型の絆創膏をやさしくさすりながら、ハルナはのどかに問いかけた。
ハルナの声は届いているのだが、のどかは真剣な表情を崩すことなく腕組みして考え込んでいた。

「……うん、だいたいは。でも、肝心のお漬物をどうしようかなって……。市販の物を考えたんだけど、やっぱりどうせなら……その、て、手作りの方がいいし……」
「うんうん、愛しの『ネギせんせー』のためだもんねー」
「も、もう。ハルナー」

真面目な空気がとことんまでに嫌いなのか、どうしてものどかを茶化すことをやめることができないハルナ。
顔を真っ赤にして、初々しさを辺りにふりまきながら助けを求めようとしたのどかだか、ハルナを止め話が前に進まない状況を打破すべき存在の夕映の姿が見当たらない。

「どうかしたのですか? 二人とも」
「あ、ゆ、ゆえ〜。どこ行ってたの?」

カウンターの向こう側に現れたルームメイトを見て、のどかはホッとする。
身に着けたエプロンで手をぬぐっていることから、どうやら夕映はトイレに行っていたようだった。

「ちょっと、行き詰っちゃっててさ、献立のことで」
「献立ですか……やはり、お漬物ですか?」
「そ、どうしても手作りじゃなくちゃイヤだって、この娘がごねるものだから……」
「ハ、ハルナ。どうしても、なんて言ってないよ」

良くも悪くもマイペースなルームメイト二人だったが、このままでは話が前に進むことはない。
そう判断した夕映は、やれやれといった感じでため息を一つつき、カウンターを回りこんで二人の元へと近づいた。

「ゆえー、何かいいアイディアない?」

途方に暮れ、次第に落ち込んでいくのどかの表情だったが、次の夕映の一言で光明が差し始めた。

「良くぞ聞いてくれました。こんなこともあろうかと、とあるクラスメイトから、糠床を借りておきましたです」
「糠床!?」
「とあるクラスメイト!?」

シンクの下の戸棚から、バレーボールほどの大きさの小振りな壷を引っ張り出す夕映。
手作りのお漬物を求めていた二人には、これ以上ないアイテムであったが、「糠床を持っているクラスメイト」という事実の方が衝撃が大きかったようだった。
のどかとハルナの脳裏には、同じ人物の顔が浮かび上がっていた。
3−Aで最も、「エプロン」「フライパン」「ネギ」が似合う人物。ちなみに「ネギ」といっても、担任教師ではなく野菜である。
このイメージの合致は偶然ではなく、もはや必然。
誰よりも、主婦のイメージに近いクラスメイトであった。

「さあ、のどか。お膳立ては整いましたです」
「がんばって、のどか」
「え? あ、あの。え?」

エプロンを着込んでおきながら、糠床を前にして夕映とハルナは少しずつ後じさりを始める。
糠漬けを作る。ということは、この糠床に手を突っ込まなければならないということ。
自分たちは、言わばお手伝いであって、基本的に外野である。
そのことを踏まえると、ここは応援をしておくに限る。
夕映とハルナの、目に見えざる意思疎通の結果であった。

「じゃ、じゃあ。はじめるね」

のどかはまず、冷蔵庫から糠着けに使用する野菜を取り出した。
基本のキュウリ、カブ、そして彩を添えるニンジン。
糠漬けの定番といえるチョイスであった。
野菜の下ごしらえを行った後、いよいよ糠床の出番となったとき、のどかは二人のルームメイトがすぐそばにいないことに気がついた。

「? あれ。ゆえー、ハルナー。どこいったのー?」







「がんばるのよ、のどか」
「私たちは、陰から見守ることにします」

エプロン、三角巾装着のまま、ハルナと夕映の二人は女子寮一階のロビーにいた。備え付けのソファーに座っている。
恋に恋する親友のため自らは陰で支える。
そう言うと聞こえはいいが、実際この二人は肝心のところで逃げ出してきてしまっていた。

「ねえ、夕映。あんた、糠漬けって作ったことある?」
「……いいえ、ありませんです」
「ま、ふつーそうよね。……ねえ、その『ハチミツみょうが』って美味しいの?」
「飲んでみますか?」
「ゴメン、遠慮しとく」






その頃ののどかは――。

「はぁ、この感触。結構気持ちいいかも……」

一人、糠床と格闘をしていた。





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